『「君が代」の歌詞は、 約1000年前の古今和歌集に収められた歌が元になってますが、 その時すでに「よみ人知らず(作者不明)」なので、それより以前からある古い歌です。
後の日本人にも好まれて、江戸時代まで「君」は天皇に限らず相手へのお祝いの歌として残りました。
明治になって国歌を決める時に、この歌を選んで曲をつけてます。 この時は「君」は天皇です。 戦後は、「君」とは自分の大事な人である、という解釈で歌う人もいます。 (私はどちらにしろ日本の未来を歌ってるわけで、それもいいかなと思ってます。)
意味は、 「君が代は」日本が、 「千代に八千代に」1000代も8000代も続きますように。 「さざれ石の、いわおとなりて」細かい石が(集まって固まって)岩になり 「こけのむすまで」苔が生えるくらい遠い未来まで、いつまでも続きますように。
ゆっくりとおごそかに歌われる「君が代」の意味は、ただただ「この日本の平穏がずーっといつまでも続きますように」だけです。
象徴である天皇とともに日本人の子々孫々が続くということで、「君が代」とは日本(の未来)を表してると思います。 よまれたのは平安時代ですが、国歌に選んだのは明治時代です。
当時の情勢を考えると、もっと「強いぞ日本、西欧諸国に負けないぞ!」みたいな歌でも作りそうなところを、 「君が代」を国歌に選んだってことは、日本人には「強いこと」より「永く続くこと」のほうが、価値があったんだなと思います。
そう思うとしみじみします。 この歌詞について思うのは、強く華々しいものを良しとする文化なら「輝く太陽」「きらめく星」みたいな美辞麗句連ねそうなところを 「石」「岩」「苔」って、地味ですよね。 この地味さ、おとなしさ、脂っけの無さで、悠久なる「時」を讃え、最大の価値を置くところが、日本だなあと思います。
日本らしいと言えば「苔」の一言にしても、 日本なら、水があったり木が繁ってる涼しい場所で良いイメージが思い浮かぶと思いますが 気候が違う外国の人が聞けば「苔って石の汚れ?」みたいな感じかも知れません。 人の一生に比べれば、永遠の存在に思われる「苔むした岩」に、 天変地異も争乱もない永遠なる平穏を投影したんですね。
国歌には、それぞれの国々の気候風土歴史などによる国民性が現れてるのが面白いと思います。
反対している先生達は、 戦前も歌われていた「君が代」は天皇賛美、戦争賛美の歌だから反対、なのだそうです。』
⬆︎ 国歌の検索をしていて
此方の記事を見付けた時に
同じ考えの方が上手にまとめて
書かれてらっしゃると
嬉しく思いお借りいたしました。
日本の平穏が永遠に続くように
そのような素晴らしい意味を持つ
世界一の国歌を誇らしく歌っています。
世界中の国歌の中で
日本の国歌ほど平和な詩はないと
言われているほどです。
踊り子は
世界中の国歌までは調べてませんが
10ヶ国の国歌を原語と日本語訳で
聴いてみました。
まるで軍歌のようです。
今、正にこの歌詞の通りの国
ウクライナ国歌です。
⬆︎ まるでフランス革命
真っ只中のようなフランス国歌
⬆︎ 「ドイツは全てのものの上に立て」
追従を許さないのでは無く従わせる
そのようなドイツ国歌
⬆︎ 「敵の屍の上に栄光を築き」
ベトナム国歌は進軍歌です。
ホーチミン氏の胸像に敬礼しながら
小学生から歌っています。
⬆︎ 美しく穏やかで
永遠の平穏を願う歌の元は
愛する人、大切な人の長寿を願う
祈りにも似た平安時代に詠まれた
「よみ人知らずの歌」です。
⬆︎ この方が書かれたように
日本の象徴と共に日本人の子々孫々が
続くと言う
めでたい日本国歌
素晴らしい国歌が好きです。
此方は
先日、ウクライナの方から頂いた
ラインを眺め一昨年の卓話を思い出し
新たに胸を痛め下書きした記事に
国歌云々を追記したものてす。
オペラ歌手の男性と
そのご家族が日本に避難されてらして
踊り子の所属している
ロータリークラブでウクライナの
惨状を話して下さいました。
月初に
当ロータリークラブでは
国歌斉唱を行います。
それに
応えてウクライナの国歌斉唱
涙で途切れ途切れに歌われた姿に
踊り子も貰い泣きしてしまいました。
流石!
プロのオペラ歌手 ❣️
彼だけは右手を左胸に当て
最初から最後まで歌い切りました 👏