咲いたまま
枯れてしまった紫陽花を
見る度に思うのは…何故?
もう
いいじゃない
いつまでしがみついているの?
あの
瑞々しかったあなたは…何処?
あぁ〜
早く眠りたい
ずっとずっと眠っていたい。
そんな氣持ちになった事って
有りませんか?
死にたい訳では無いけれど
生きてたい訳でも無い
そんな風に思った事って
有りませんか?
若い頃
そんな事を思った日もあった私。
生きる氣力が無く
死ぬ勇氣?も無い
無い無い尽くしの人生だったのか
それとも忘れてしまいたいほどの
辛い苦しみが有ったのか?
忘れたくらいだから
大した事は無いのだろうと
思っていたのですが…その時
私は何処に住んでたのだろうかと
背景を色々と思い出すと見えて来ました。
馬鹿馬鹿しい話し…
今なら
笑って遣り過ごせる話しなのに 。。。
そんな時
にあんちゃん(息子)の一言で
単純な私は生きる氣力を復活させ
今も、此処にこうして生きています。
って事は
にあんちゃんは命の恩人?ですよね!
にあんちゃんが
小学生(低学年)の頃ですから
本人は覚えていないと思います。
当時の
友人のマンションの前に在る
小さな公園でのお話しでした
女性には
大きく分けると2通りあって
艱難辛苦に遭うと潰れて堕ちるタイプと
艱難辛苦を乗り越え強く成るタイプです。
そして
乗り越えたタイプも2通りに分かれます。
強くキツく、可愛げが無く非情に成るか
強く優しく、思い遣りある人間に成るか
勿論
中間もあるかと思いますが…
私の経験や
考えが100%ではないでしょうけれど
少なくとも
私が身近、遠巻きに見聞きした事実です。
人間は
自分では氣付かないうちに
他人に借りを作ってたりするものです。
「借り」
あまり適切な表現では無いかもですが
私は娘には
手間暇かけて手塩にかけて
育てて来たと自負しています。
娘がどのように感じているか
娘の希望する母であったか
どうかは別として頑張って来ました。
反対に
にあんちゃんからしたら
不甲斐ない母で姉的な存在だったと
申し訳なく負い目を感じています。