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  • 安本家の本籍は、朝鮮(現・韓国)全羅南道宝城郡である。先祖代々朝鮮の名家「両班(やんばん)」の中でも由緒正しい豪農だったが、祖父の代に親友の借金の証文一枚の保証人になったばかりに没落1927年昭和2年)、兄妹の両親は新天地を求めて北九州に渡ってきたが、父は結局入野村の杵島炭鉱大鶴鉱業所で臨時雇いの炭鉱夫となり、逆境のうちに一生を終えた。ちなみにこの「両班」という階級は中国の「士大夫」とほぼ同義とされ、長らく支配階級、知識階級であり、儒教の影響が色濃かった。「にあんちゃん」に顕著な、過度なまでの敬語の使い方に、両親や兄、姉からのその影響が認められる[12]


(以上、ネットよりコピーいたしました)







在日コリアンの10歳の少女

安本末子さんの日記から生まれた

著書、映画が「にあんちゃん」です。


1943年佐賀県生まれ。3歳で母を亡くし、52年、9歳で炭坑夫の父と死別する。残された子どもたち、長兄、姉、次兄、末子ら4人の生活となり、日記を付け始める。57年、その日記に心打たれた長兄が経緯を添えて光文社に送る。58年、中学3年生のときにカッパブックス『にあんちゃん』が刊行され、大ベストセラーに。早稲田大学文学部を卒業。広告代理店勤務を経て結婚。現在は、茨城県に住む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 
にあんちゃん 角川文庫』より








私の父は再婚で

前妻との間に1人息子がおりました。



父の母が(一応、私の祖母に成ります)

孫を引取り育てると言う約束の元


母は父と結婚をしたらしいのですが

祖母が亡くなり父の息子は

父の元へとやって来る事に成りました。



父の息子(義兄)が先か

母の姪(私)が先に

引取られたのかはわかりませんが

義兄と私は父と母の子どもとして

育てて貰う事に成ったようです。



母は何の因果か

自分のお腹を痛めた子どもでは無い

私たち兄妹を育てる羽目に成り


兄は子どもの頃から

いつ別世界へと旅立っても

不思議では無い病氣に取り憑かれ

22歳と言う若さで逝ってしまい


私も脆弱な上に

良くも悪くも破天荒な性格で

常にハラハラさせる子どもでしたから


母の苦労は

並大抵では無かったと思います。




母の幸せ

父が素晴らしい人間だった事です。


誠実で温かく、包容力、知力、度胸…

数多の魅力が溢れていて周囲からの

人望も厚くオマケに美男子 キューン

(惜しいかな…背がもう少し高ければ)



母が私で嘆くと

「世界一の夫がいて

娘まで申し分無かったら、世の中の

奥さんたちに申し訳ないでしょう?

私がこんなで調度良いの!

幸せは平等で無いと」なんて


自由平等博愛を

🇫🇷 フランス国旗を掲げたような

陳腐なセリフに「そうだね」と

答えるほどの夫で父でした。



私の

誇りと自慢は

✨父の娘としてこの世に誕生した事✨


だったのですが…

違うと知って胃痙攣に円形脱毛症 汗








安本末子さん

父、母、兄と

前置きが長く成りましたけれど


私の

息子も娘も

当然、孫たちも兄を知りません。


私も

入退院を繰り返していた

兄との記憶が少なく

少しずつ記憶を辿っている最中です。


もう

兄を語れる人は皆無に等しくて

私が子や孫に話さねば

兄は2度も死んでしまうと


昨年から強く思うようになり

毎朝、両親に手を合わせる度に

兄にも一声かけています。


思い出が少ない分

兄を語れる内容は限られ

同じ話を繰り返す事も多いのですが

息子や娘に人物像を伝えています。



私に似て

素晴らしい長所とビックリな短所を

併せ持つ息子ですが

頑張って私を支えてくれて

「いいね!自立するんだよ!」と言い

「ウチの末っ子ちゃん」と紹介する

息子は、兄の次の兄のようなので

私にとってのにあんちゃんです



兄を親しみ込めて言うあんちゃん

末子さんは次男(2番目の兄)を

にあんちゃんと呼んでいました。



近頃

しみじみと思うのですが…


ルーツを語り継ぐ事の大切さは

伝統文化や国の歴史と等しいか

それ以上に素晴らしいのでは?


そんな事を

考えるように成りました♡


今後

折に触れては兄を中心に

父、母、息子、娘の事を忘れないよう

綴り続けたいと考えています。