皆さま
ご訪問ありがとう
ございます
ピンク薔薇



⬆︎


輸血

生まれて初めての輸血

全く見知らぬ方々の血


献血

して下さった皆さまに

感謝の言葉


ありがとうございます

そのように

胸の内で繰り返し乍ら

受けた輸血でした





⬆︎


そもそもの始まりは

膠原病科の担当医

怠慢と無能により

起こった事でした


中略させて頂き

次に進みます


2度の輸血後

B型肝炎 C型肝炎

疑い有り


リツキシマブ

こと

リツキサン投与

プレドニン

服用

より

免疫力低下とその他

(中略)


コロナ感染

(5月7日に発覚)

⬇︎


続いて

リシキサンとプレドニン

副作用による

倦怠感、思考力欠如、脱毛

目、口内の支障

半端ない脱力感に襲われて

39度前後の高熱が続いた

3ヶ月間の内

最初の1ヶ月は食欲が落ち

2ヶ月目には

水さえも、やっとの有様

3ヶ月目から

娘ちゃんの細やかな

氣遣いの手料理を少しずつ

食べれるように成り

4ヶ月目には

それなりに食事が出来る

状態に成りました


半年間

娘ちゃんは栄養バランスを

考え乍ら

私が好みそうな調理方法で

食卓を整えてくれました


その間

多くのブロ友さんたちから

励まされ

仲良しさんから

栄養価の高い品々が贈られ

命を繋ぐ事が出来ました




本来

患者の命を守るべき病院です。


医師は、その役目に責任を持ち

緊張感と思い遣りを併せ持つべきと

私は思っています。


最初に出会い

診て下さった膠原病科医

紛れもなく思い遣り有る医師でした。


転勤されてしまった為

担当医が替わり医師から医者に成り…

穏やかな雰囲氣は良いのですが

聴診器は最初に1度だけ

皮膚、爪の確認も無し

採血採尿のデータだけに頼る医者 


それでも

見逃しが無ければ許せますが…


命に関わるデータを見落としたり

ボンミスだけで無く大きな失敗も…


辛いとか変化した症状を訴えても

あゝ そうですか」を繰り返すだけ


度重なる医者への

不審と不信感で調べてみると

この様な症状が起きたら医師に相談

と、書かれているでは有りませんか!


医師に相談して対処せねば

為らない事ばかりがズラリと

載っているのを見て


病氣で死に至る前に

この医者により冥土へ行く日が早まる

そう感じ、相談室に行き

医者から医師に替えて頂きたいと

願い出ました。



私の重篤期間中は

肺呼吸内科のスーパードクター

全て、診て下さっていました。



膠原病科医者は

ノータッチでしたけれど

相談室から伝わった私の意思に対し



踊り子さんには

この病院よりグレードの高い

病院をご紹介しますので…


訳のわからない話しを始めた医者 プンプン


早い話が転院してくれ!です!!

此方の大学病院よりグレードが高い?


ランキングの表を見ても常に

2番か3番に在る〇〇大学病院です。


「此方の病院は

グレードが低いのですね」と私


しどろもどろで医者は言う

「此処より少し遠く成りますが」と

紹介先のプリントを差し出す医者に


「肺呼吸内科、腎臓内科は

そのままで膠原病科だけでも?」私


膠原病からの間質性肺炎と腎症です。


要と成る膠原病科から回るデータを

主に肺呼吸内科も腎臓内科も併せて

検査をし経過見をするのですから

膠原病科を変えると言う事は

全てを変えなくてはならないと

私は知っていて尋ねたのですが ニヤリ


「それでも良いのですが

それだと色々と…いづれは」医者



転院したいのは私の方!!

周囲からも転院を勧められ

我慢しているのに…



⬆︎ 2023年6月のお話です。


この医者のミスで4月20日頃から

絶不調で5月10日近くから重篤で

肺呼吸内科のスーパードクターが

休日や休憩、診療終了後に

懸命に診て治療をして下さってる

5月から9月の期間内の6月の話。



2022年春?初夏から微妙…

夏、秋、不調で初冬には

翌年には私が逝ってしまうのでは?

娘ちゃんはそう思ったらしく


「行ける時に行きたい所に行き

会いたい人に会い、食べたい物を

食べて置いてね」と言い続けました。


お言葉に甘えて大阪と京都に行き

会いたい方々に会ったり

美味しい食事をしたり

南座で片岡愛之助さんの歌舞伎観賞し

藤原紀香さんにもご挨拶出来ました♡


小学生時代の

懐かしい思い出の大阪城も眺め

幸せな4泊5日の旅をして


帰宅した途端に…



医者のボンミスから

大きなミスが続き死にかけた暮れ


明けて2023年の2月から絶不調

医者は知らんぷり


とうとう4月から…


現在の脚腰、皮膚科の不調は

重篤期間中の栄養失調と運動不足で

筋肉減少で膝の支えが失く成り

只今、治療とリハビリ中です。



一昨年の夏から

転院を考えていたら


身近な人やブロ友さん

家族にも転院を勧められ

悩んでいました。




肺呼吸内科のスーパードクターが

私の命の危険を感じ週2日の採血

週1のレントゲンを続けてる

重篤患者の私に対して転院なんて

どの口で言えたのでしょうか!!


「考えさせて下さい」と私

スーパードクターに伝え

相談室に再相談に行きました。


「今の私の状態を考え、

肺呼吸内科医の献身的な治療を見て

転院を勧めるのは病院側に取っても

私に取っても得策では無いと思う」



この状態で転院し

1から検査し治療に当たるのは

患者の体に負担をかけ

死に至らしめる恐れが有る。


何事か有れば

病院側はどのような責任を取るのか

よくよく考えて欲しい旨と


以前も伝えたように

転院も已む得ないと考えていたけれど

問題は膠原病科の医者だけなのだから

取り敢えずは医師を替えて欲しい。


そのような話をしました。



で?

その後は?どうなったでしょうか はてなマーク





続きます。