踊り子が
文化の日に
何故
このようなイベントを
開催するように
成ったのか
何故
NPO法人を立上げたか
何故
ベトナムとの交流を
始め
続けているのか
以上
ゆっくりと書いて行きたい
と
思っています
先頭は
「江戸芸者」の手古舞姿
一時期
踊り子は花形の手古舞の組でした。
手古舞の組を抜けた後は
黒紋付の芸者の正装でのお練り
合わせて何年か続けました。
当時
浅草や上野の旦那衆の皆さんが
「踊り子ちゃん、お疲れ様
〇〇でお座敷を設けたからおいで」と
2〜3のお座敷がかかったものです。
ところが
バブル期が終わって
世の中が不景氣風に煽られ
お練り後のお座敷は皆無と成り
ボランティア価格のお礼のみ
せっかく
正装して浅草寺境内に待機して
お練りをしても(長時間)
それでお開きでは勿体ない。
芸者衆を労ってくれたり
お座敷を設けたりしてくれる
旦那衆の代わりに僭越ながら
踊り子が一席、設けようと奮い立ち
お練りに協力した芸者衆全員に
お座敷をかける事にしました。
*この頃、既に現役を退いていました。
2010年には
80名の募集が100名のお客様
向島と浅草の芸者衆30名と
豪勢なイベントと成り
歌舞伎界からは片岡秀太郎丈と
歌謡界からボニージャックスの
西脇久夫さん、絵と書のコラボ作家
南久美子先生などがお客様方に
抽選でお土産をご用意下さいました。
秀太郎さんは
京都から芸舞妓3名を同伴して
華を添えて下さったり
2段のスタンドのお花まで
3度目の
日本伝統文化保存継承の会主催
✨楽華の集い✨は大成功
以下 ⬇︎ 2010年10月末のブログから
伝統文化を守る為には、
花柳界存続は欠かす事が出来ません。
芸者衆は
着物、和楽器、鬘、簪
その他諸々
「和」に関するあらゆるものに
繋がり貢献しています。
その経済効果は高く
そう言った意味だけでも
決して失くしては成らない
世界だと思います。
ココまで
「東京時代まつり」の
お練り後に旦那衆の代わりにと
始めた会は芸者衆への氣持ち
花柳界存続を願うのは
日本伝統文化保存継承には
花柳界を守る事が
大事と考えたからです。
例えば
簪も本物の鼈甲や銀細工など
伝統工芸の職人さんたちが
精魂込めて作る
三味線、太鼓、鼓なども破れても
張り替えする職人さんが減少
着物も上手な
悉皆屋さんが消えつつ有ります。
手入れが
必要なものばかりなのに
需要が少ない為に
家業を継ぐ方がいなく
閉めてしまう伝統工芸店や
呉服屋さんも多く
全てが
お粗末に…本物は?何処へやら?
芸者 舞妓(雛妓)の正装は
日本伝統美術品だと思います。