の事を書きたいと思い
実家のお仏壇に有る
過去帳に記載されている内容を
確認して貰いました。


小さなメモの写メが届いたので
過去帳かと尋ねると
過去帳の間に挟まれていたとの事。


メモはメモ用紙やノートでは無く
新聞の領収書の裏に書かれたもので

紛れもなく母の文字なのですが
文字は乱れ、間違えて無いのに
同じ事を書き直し?繰り返し?
書いて有りました。


23歳と言う若さで
親より先に逝ってしまった
兄の戒名と命日と

昭和63年
平成16年、平成17年、○歳

上手な文字を書くと
周囲から褒められていた母です。


認知症に成り始めの頃
だったのでしょうか?
兄の歳を忘れないようにと
書き続けられるだけ
書き続けていたのでしょうか?

胸が締め付けられそうに成り
目には涙が滲みウルウル 汗


兄も私も
母の子どもでは有りません。

父は再婚で
兄は前妻との間の子でした。

父の母(祖母)が
前妻の子(兄)を引き取ると
強く願い出た為
(父の再婚の妨げに成らないようにとの
母心だったのでしょう)
兄は祖母に引き取られたのですが
祖母が亡くなり
父の元に引き取られたそうです。
(誰に聞かされたのか?いつ知ったのか?
思い出せず、もどかしいです)


兄と私は
7歳も歳が離れていた事も有り
また、私が女の子だったせいか
両親の手のかけ方が
倍も違うのではと思うほどでした。


子どもを産んだ事も無い母が
イキナリ、小学1年生位の
男の子の母に成ったのですから
どのように接して良いのやら…
大変だった事でしょう。


兄が先か
私が先か…どちらが先に
母の子に成ったのか…今では
知る人、教えてくれる人が
もう、この世にはいません。


もしかしたら
戸籍を辿ればわかるかも?





私は33歳まで
養女と知らずに育ちました。

戸籍には実子
長女と記載されています。


兄は
亡くなる数ヶ月前に
「俺が死んだら
父さんと母さんを頼むな」と
言いました。


私は
兄が亡くなるなんて微塵も
思った事が無かったので
「何を言ってるの
当たり前じゃない」と軽く答えた
自分を後々、責め続け

兄の遺した言葉を
両親に伝えそびれた事を悔やみ

兄の事情や病氣の事を
教えてくれなかった両親に対し
不満を覚えました。




母の宿命
だったのでしょうか…

自分の産んだ子では無い
2人の子で苦労をする人生を
選ぶつもりでは無く
選ばれてしまったのでしょう。



あの世とやらで
兄の想いは母に届いただろうか
母の想いは兄に伝わっただろうか

もしも
叶うなら…と
兄の想いを母に、母の想いを兄に
私が届けようと思い始め
お仏壇に魂を込めて手を合わせ
朝晩、祈り続けています。



そして、父にも
2人は確かに母と子だったと
伝えたいと思います♡
(ブログを書き乍ら今、思った事です)









少しばかり
風邪氣味なので
昨日、今日は安静にしています。


11月だと言うのに月初の暑さ
そして一氣にこの寒さ 
皆さまもご自愛下さいませね♡




皆さま
ご訪問
ありがとうございました
ピンク薔薇