『大好きと掛けて
夜明けの朝日の風景と説く
その心は・・・嫌いな人はいないでしょう
大好きと掛けて
言葉では言えない愛と説く
その心は・・・目に入れても痛くない
チョット変だったかな(^^♪』
⬆︎ 素敵なコメントを頂戴しました♡
⬇︎ 踊り子からお礼のコメントに
『幸せそうな人たちも・・・
生きるためには苦労する』納得の返信
ra97jinsei2さん
ありがとうございました
2023年2月13日11時30分
新しい寝室に
お仏壇がお引越し出来ました♡
両親の遺影それぞれと
2人のツーショットの写真も
お仏壇の中に安置して在ります♡
仕事部屋には置けず
リビングにも置く場所が無く
断捨離部屋 ① の床間に
安置したままだったお仏壇が
私のベッドの横に安置出来て
ホッとしています
両親の遺影を一緒の額に入れたいと
氣にかけていたので月が替わったら
素敵な額を探しに行こうと思います。
日々の暮らしの中で
千秋さんが綴られた『母の手帳』
私も似たような思い出が有ります。
千秋さんのブログで
手帳の記憶が蘇り、
リブログをお願いいたしました。
2年前から千秋さんの
お母さまが施設に入られています。
「痴呆が進み」との事…
東日本大地震の折
母がお世話になっている施設が
一時避難をし行方不明に成り
私は氣が氣では無く夜も眠れず…
環境が変わったせいと
施設のスタッフが震災を機に減り
手が足りなく成った事も
拍車をかけたのか…震災後に
母は私を完全に忘れてしまいました
その1年ほど前辺りから
頻繁に施設に通い面会してくれていた
息子(孫)と娘を忘れてしまい
息子も娘も私も大ショック
時々、話しを合わせて
孫たちを覚えているフリはするものの
「あゝ、わからないのねぇ」と
明らかに伝わるのです。
震災後には…娘の私まで
父が亡くなり
母は施設にお世話に成る事に
父の衣類を整理し形見分けや
断捨離をしていると母の手帳が見つかり
ページを捲ると私の名前と電話番号が…
引越したり
電話番号が変わったりの私
その度に
書き替えていたのでしょう
中には
同じ住所、電話番号も有りました。
母が生前の時に見つけた手帳
母が亡くなってから
再びページを捲ると…
涙で手帳の字が見えません
生前には
「アラ!お母さんたら
同じ事を繰り返して」と認知症の心配
亡くなった後に思うのは
限り無い♡愛と感謝♡
母の娘への愛が伝わりました
3年間ほど
娘を預かって貰っている頃に
娘が私の元に遊びに来てる間
「日本昔ばなし」の内容を
小さなメモに箇条書きしてた母
娘が戻ると
まるでテレビを観ながら?と思うほど
細やかな描写で読み聞かせする母
私など
到底、真似出来ないと脱帽です。
父曰く
母は算盤、暗算、読み書きに優れた
美人な女丈夫だったと惚氣?(笑
そのような母が認知症…
孫たちだけでなく娘の私まで…
忘れた本人の
氣持ちは尋ねる事が出来ません
私は母に捨てられた子のように
置いてけ堀に置き去りにされたまま
忘れられた
哀しみは拭えませんけれど
受け止める事しか無いのだと諦めて…
母が亡くなってから2年後位?して
「お祖母ちゃんがね」と娘が切り出し
「ママは小さい頃から可愛くて
お祖母ちゃんはママに何でもして
上げたくて…」と母の弁を語りました。
甘えん坊で
甘え上手?おねだり上手?か
どうかはわかりませんけれど
甘えっ子ちゃんだった事は
本人も周囲も承知の介でした
和裁は
師範並みですが洋裁は素人の母
絵や詩を書くのが趣味だった私は
洋服をデザインするのが好きで
デザイン画を母に渡し
ミシンを踏む母の前に陣取り
「曲がった」とか「コッチ」とか
まるで監督か姑のように小煩く
付きっ切りで仕立てて貰っていました。
先日、長電話した
従姉妹が覚えいて羨ましかったと
言われ懐かしく思い出しました。
小学生の頃
デパートで買った洋服と
母のお手製の洋服に外出着などは
紳士服の仕立て屋さんで…
従姉妹が羨ましがる訳ですね
わが家は
資産家でも富豪でも有りませんが
父も優れていたので
並の人より収入が良かったらしく
当時にしては贅沢をさせて貰ったと
自分でも認識しています。
ママが可愛くて
何でもして上げたくて
お祖母ちゃんは
何でもしたんだよと私の娘に伝えた
母の言葉を
娘から聞いた私は思わず涙
娘に隠れてそっと拭う…
「お祖母ちゃんは
本当にママが可愛いかったんだね〜」
ソッ!
私は
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに
貰ってもらえて幸せ❣️
貰いっ子じゃ無かったら
悲惨な人生だったと思うよ
良かった良かった!!
わが家では
常に両親の話しで盛り上がります♡
再び三度
読む度に母への♡愛と感謝♡が
際限無く増すようです。
千秋さん
リブログさせて下さり
ありがとうございました
皆さま
ご訪問ありがとうございました