2016年1月20日

母永眠

見送りは 息子 娘 





2015年7月初
間質性肺炎なるものが発覚

罹患は
それ以前
某大学病院の医師により
有耶無耶となり…放置。



2015年
初夏を迎える頃
滲出性中耳炎で

鼓膜にメスを入れ
水を吸い出し
チューヴを入れる手術をする。


その際に
咳に悩む症状を
耳鼻科医に相談すると
私の咳は耳鼻科では無く
内科での診察と検査が必要との
診断に基づき従うと
間質性肺炎との診断が下る。


間質性肺炎には
何種類か有り
原因と思われるものに
分類され治療に入るらしく
私は膠原病科に回され検査。


複雑で原因不明
多種多様な膠原病の中の
強皮症と診断結果で
ステロイド治療が始まる。


プレドニンと
ビタミンE、ビタミンD
胃薬としてネキシウム投薬。


肺呼吸内科と
膠原病科の2科
月1から月2の定期検診が続き
月3と楽な通院を重ねながら
必要な検査を続けて今日に至る…

なのですが
この間に不審に思える事が有り

・セカンドオピニオン
・医師を替える
・病院を替える

など
思案を繰り返し1年が過ぎ
昨年6月から9月
そして10月から始まった
12月の惨事が起こり
強行手段の治療に踏み切る。


昨年9月後半から
11月末までの私の様子を見て
来年には私が逝ってしまうのではと
娘は覚悟を決めたそうで

「お母さん、会いたい人がいたら
会って美味しいものを食べて
美味しいと感じられる間に会って
楽しみながら好きな事、
やりたい事をしてね」と言う。


背中を押されての
昨年の大阪と京都の
出張を兼ねた楽しい旅行は
実り有る出張と
新しい素敵な出会いと旧交を温め

南座で歌舞伎
日本伝統文化と触れ合い
佳い日々の思い出作りも出来
大満足してお江戸に戻ると…















待ち構えていた入院








何故?
このような事になってしまったのか?

退院後に
少しずつ入院記なるものを
体力と氣力と相談しながら
書き溜めて下書き保存をしました。


まだ未完ですが
腎生検の検査結果が出たら
更新する予定でした。


18日
無事にリシキサン点滴
ワンクール終了となり
膠原病科と腎臓内科での問診で
難病指定・血管症陽性の疑いから
難病指定・腎症に変わり

減薬の様子見をしながら
腎症治療を始めたいと
腎臓内科の医師の勧めと希望。


強皮症と
関連性の無い腎症との事

既に
難病指定患者ですが
新しい難病指定まで増えました。


こうなれば
「ドンと来い」と言った覚悟で
遺された日々の計画
思い切った断捨離以上の
終活が明確に出来る
チャンス到来と喜んでいます。


踊り子の入院記
ボチボチ公開させて頂きます。


同病の皆さんや
ご家族に私と同病の方が
いらっしゃる方々の参考や
何かのお役に立てれば幸いと思い
公表を考えて下書きを始めると

強皮症リサーチ会社から
協力依頼の連絡が有りました♡


メール、電話、
そしてオンラインでの参加

詳細はお伝え出来ませんが
強皮症を含めた難病に少しでも
体験が参考に成るので有れば
痛み、苦しみも報われます♡




今回の
ビックリ!幸運とは…

チト
言い難いかも知れませんが

全ての事が
大難は中難と小難に転じ

まるで
無難に終わったかのような
穏やかな朝を迎えています♡



皆さま
長文にお付き合い下さり
ありがとうございました ♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪