梅川 忠兵衛



お美しい

傾城梅川役は片岡秀太郎さん







女形としても後輩育成としても

歌舞伎界に尽力され続けてらした

秀太郎さんは舞台には出ない

芸のお話をして下さったりと

歌舞伎を愛する歌舞伎役者でした。



平成9(1997)年に開した「松竹・上方歌舞伎塾」や、平成26(2014)年に開校したこども歌舞伎スクール「寺子屋」では講師をつとめ、後進の育成に力を注いでいる。

(ネットよりコピーいたしました)



平成若衆歌舞伎の座長に

片岡愛之助さんを据え

大阪初公演を行い、東京に進出し

観る初心者のお客様と

観られる初心者の歌舞伎役者との

初々しい関係の橋渡しを為さって

お会いする度に

「愛之助をよろしくお願いします」と

頭を下げて仰ってらしたお姿が

今でも忘れる事が出来ません。


その様な理由で

若衆歌舞伎を大阪まで観に行き

初の東京公演にも行きました。


愛之助さんが今ほど

有名では無かった頃のお話です。


その頃の愛之助さんと

現在の愛之助は常に変わらず

私に接して下さいます。


楽屋に手ぶらで行き

手土産を頂いてばかりで恐縮しまくり あせる



NHKの鎌倉殿の13人でも

良い味を出してらした愛之助さんは

三谷幸喜さんのお芝居もされたり

広い分野で活躍を続けています。




「いつかミュージカルも

やりたいと思っていたので」と

5年前頃(?)に伺ったお話の中で

10年前からボイストレーニングを

されてらしたと聞いて驚きました。



上方歌舞伎衰退の中で

秀太郎さんの養子として頑張り続け

花開いた苦労人で努力の方が

片岡愛之助さんです。




秀太郎さんの著書の中にも

上方歌舞伎の衰退時期の頃が書かれており


その中には愛之助さんの素養を惜しみ

江戸での歌舞伎を勧める親心に対し

自分はお義父さんと上方歌舞伎で

頑張り続けると応える愛之助さんの

義理と人情の子心のお話があります。



人間国宝に成られてから

1年足らずでお亡くなりに為られた

片岡秀太郎さんですけれど

功績は永遠に残り続ける事でしょう。



他の秘話は…近い将来に ウインク




女形の秀太郎さんの

珍しい舞台の一コマです。



⬆︎

歌舞伎役者・人間国宝の

片岡秀太郎さんのお話は

一旦、ココまでにて

民謡・ミカド天風さんの

お話へと移らせて頂きます。

⬇︎



⚠️音が出て

賑やかですのでご注意下さいませ。




真ん中がお孫さん

右隣がお母さんの香奈子さん



左手の日本髪がミカド天風さん

ミカド流二代目家元として

お弟子さんたち一同と娘や孫に

ミカド流を伝える為に

長年、頑張り続けていらっしゃいます。


香奈子さんの

ご長男は大学生で尺八奏者です。

今回は出演されて無いようですが…


天風さんは日舞の師範で

香奈子さんは民謡以外にも日舞や

鳴物(特にお笛の名手)も

何でも熟す芸達者で然も美人 おねがい


祖母 母 娘

三代の舞台は芸以外にも

心に響くものが有りますね。


身内故の問題も

身内だからこその結束も

たくさん有ると思いますけれど

良い面ばかりしか見当たらないのは

天風さんと香奈子さんの

素晴らしい芸とお人柄だと思います。






民謡の素晴らしさを

晩年に成って知ったのですが

決して遅過ぎるとは思いません。


一生、知らずに過ごすより

知ることが出来た幸せにバンザイ \(^^)/





母・香奈子さんのお辞儀の美しさ



娘の初々しいお辞儀姿を

見守るような母と祖母の微笑み


客席から

思わず笑みが溢れる踊り子 照れ


舞台と客席との

隔たりの無いこの瞬間は

満場一致だったと思います。








協力者の方々やお弟子さんたち


一人一人に花を持たせた

ご紹介の仕方にも愛がいっぱいでした。





岡崎五万石

ご祝儀ものとして有名な曲です。



祖母





左手奥にお笛方として母・香奈子さん


香奈子さんは現在

家元代行として次期家元として

あらゆる分野で活躍されています。


ベタ褒めに成りますけれど

声良し、三味線良し、お笛良しの名手

加えて様子良し、性格更に良しと

何拍子も揃った美女が香奈子さんです。


私の大切な友人で協力者

そして…師匠でも有ります ウインク 音譜






皆さま

ご訪問ありがとうございました。


昨日は

疲労困憊で片岡秀太郎丈のビデオを

観ていたものですから…


民謡と

併せて本日のブログと成りました。