【心頭を滅却すれば火もまた涼し】

って言っている様な
相棒の写真を思い出す

太宰府にある竈門神社の
【採燈大護摩供】
(さいとうだいごまく)

初めての火渡りに
行って来ました
※「護摩焚き」ともいう

前回
竈門神社へ行った時
西鉄太宰府駅から乗った
100円バスの【まほろば号】


今回は
【都府楼前駅】から
乗ってみました

【都府楼前駅】を拠点とし
太宰府の色んな場所に
それぞれの方向へと
【まほろば号】が出発
どこまで行っても100円なの

ここから
終点の【内山~竈門神社~】まで
行くことにしました



日曜日だったので
ここから乗って正解‼
出発時は
お婆さんと私の
二人っきりだった長閑な車内も

太宰府駅から
人がワサワサとバスに乗り込み
突然満員
ギュウギュウな状態になりました


週間天気予報は雨だったけど
晴れ女でもない私なのに
良いお天気にもなり


少し早めに到着したので
御神鹿と遊ぶ
神鹿も
ネコのように
後ろ足のヒズメで
首の後ろを掻いたり
届く範囲の背中や前足を
舌で毛繕いするのね
可愛い

巫女さんに
鹿にご飯をあげたい事を
伝えたら
ご飯をあげる人がいるらしく
「鹿煎餅」などは
置いてはいないらしい

護摩供が始まるまで
本殿周辺の
人がウジャウジャといる所を避けて
隠れた石段の日陰で
しばらく森林浴を楽しむ


【採燈大護摩供】とは
「護摩壇」に火が放たれ
読経が行われる中
お願い事を書いた「護摩木」が
次々と
火の中に投げ込まれ
不幸不運を焼き払う事で
幸福を招く

私が
「護摩木」に書いた願い事は
【忠魂義胆】

写真撮り忘れた…
筆ペンまで持っていって書いたのに


「護摩壇」が崩され
火生三昧(かしょうざんまい)
火渡りが行われます



裸足になり


相棒の影武者1号を

御供させ

火渡りの列に並ぶ


山伏の
この丸いポンポンした物が
凄く気になって仕方がない

相棒がこれを見たら
きっと
嬉しそうに戯れて
いたんじゃないかと
思いながら進んでいく

いよいよ火渡り

山伏から
金具でジャッジャッと
背中を小突かれ
足を踏み入れる

すぐ前を歩いている人が
見えない位
煙に包まれる

一体ここは何処?と瞬間思う中
読経と目に染みる煙
前だと思う方へと
一足一足踏みしめる


相棒が亡くなって
いまだに
色んな言葉を投げ掛けられる

「大丈夫そうだね」
「元気になって良かった」
「仕事辞めたんじゃなかった?」
「生き物は必ず死ぬからね」
「いつまでも引きずっていたら
ネコも悲しむよ」
「ネコ元気?」

心の中では
「大丈夫じゃないよ」
と思いながら
「大丈夫」と言う

「決して元気な訳じゃない」
と思いながら
「元気」だと言う

「一旦仕事辞めたの去年だよ?
今頃?」
と思いながら
「頑張って続けていました」
と答える

「生き物が死ぬのは
改めて教えてもらわなくても
知ってる」
と言いたくても
言葉を飲み込む

「ネコが悲しむ」
という言葉に対して
「急な癌で相棒自身
散々辛い思いをしていたのに
亡くなった後も
まだ、さらに相棒が辛い思いをしているの?
適当な事を
軽く言わないで」
と思いながらも
その言葉を飲み込む



「ネコ元気?」って…
意地悪を言う事でしか
コミュニケーション取れない人や

相棒が亡くなった事を
知らないくらい
疎遠になってる人

「ネコは死にました」って言葉を
まだ言わなければいけない?

あと何回言ったら
許してくれますか?

そう思いながら
「ネコは死にました」って答える

相棒を介護している時
私の手の甲も
手のひらも
アカギレだらけで
少し指を折り曲げただけで
皮膚が切れ
いつも血が滲んでガサガサでした
ハンドクリームを塗ったとしても
相棒の毛並みに付くだけ

数時間もしたら
蒸しタオルで
何度も体を拭く事になるし
相棒のゴハンや水のお皿も洗う
このガサガサの手で
「ザーリザーリ…」と
毛並みを撫でると
相棒が気持ち良さそうにする
それを見ると
アカギレの傷口が腫れて痛くても
平気でした


でも
そんな私の手を
「うわ!うちの嫁と同じ…
女だったらさぁ~
もうちょっと気を遣ったら?
何か見ていて気分悪いよ」
と言いながら
蔑んで私を見た人もいました

職場で涙を出さない為にも
家で泣いて
泣きすぎて
いつもコンタクトが入らず
メガネを掛けてる私を
いつまでもからかう人
メガネの事ばかり言う人
コンタクト買うくらいなら
相棒の供養の物を買う
そんな事も知らずに
今もメガネをからかわれる

化粧品も段々無くなり薄くなる
人相が違うと
何度もからかわれる

美容室も
去年の10月から行っていない
髪なんて
顔の周りをビシッと上げていれば
なんとかなる



そんな時
相棒が癌になった事が分かった頃
「ネコごときで」と
私を強い言葉で
罵倒し続けていた中の1人と
偶然、道で出会いました


「おぅ!仕事辞めたのかぁ~~」
その言葉を聞いた時


いつも挨拶の様に返していた言葉が
全く出なくなり
声が出なくなり

会釈だけして立ち去る事しか
出来ませんでした

「せっかく
心配して声を掛けてやったのに
なんだあの態度は!」と
思われたとしても


その後、私は職場に着き
周りに誰も居なくなった途端
呼吸が苦しくなり
過呼吸
嘔吐
号泣
…これから
仕事しなくてはいけないのに

その人からの
たった一言で
一瞬にして
コントロールが効かなくなった自分に戸惑い
心と体がついていけない自分が
情けなく

早く仕事の準備をしなければと焦り


このままの状態が
ずっと続く筈無いと
いずれ時間が経てば
過呼吸も嘔吐も涙も止まると
声だって出ると

自分に言い聞かせ
何度も言い聞かせて
自分を静め
その日
誰にも気付かれないよう
普通に仕事をしていました



良かれと思い
掛ける言葉
悪気の無い言葉
不器用な言葉
すべて
思いやりで掛けて下さる言葉を
有り難いと

声を掛けて下さるだけでも
有り難いと
思わなければいけない気持ちと
体がついていけない現実

相手にとって良かれの言葉でも
私にとっては
悪い言霊にもなる
その言霊を
1つ1つ思い出し
火渡りの時
一足一足踏みしめていました

相手にとっての憎しみを踏みしめている訳ではなく


私がもし
逆の立場にたった時

傷つかない言葉を
上手く
掛ける事が出来るのだろうか?
ブログのコメントに書いて下さる
方々の言葉が頭に浮かぶ

ブログの人達は
自分が
言われたら辛い言葉を知っている
励まされる言葉も知っている

誰か悲しんでいる人がいたら
私も
相手を傷つけず
暖かい言葉を
心から掛けてあげる事が
いつか
出来るようになるのだろうか?



私が「護摩木」に書いた
【忠魂義胆】
忠魂とは
強制や義務で仕方なくではなく
愛する者へ
真心を尽くして仕える気持ち
義胆とは
正義を重んじる気持ち


この先
どんなに心が荒んでも
もしも
悪気があっても
無くても
辛い言葉を言っていた相手が
逆の立場になった時
同じ言葉を投げ掛けて
勝ち誇る事が無い様
正義を重んじる気持ちを
持っていたい


この先
どんなに荒んだとしても
損得ばかりを優先する道を歩まず
相棒を大事に思って
尽くしていた
心から好きな者への
無償の愛情
私の心の中から消えません様に
という願いを込めて


そして


今度
竈門神社の裏にある山
【宝満山】を
登ってみる事にしました


頂上からの景色を眺めながら
相棒の為に
お線香を立てよう