★今日も見てくださって、また、いいねやコメントなどありがとうございます。
出産後のことを振り返って記事にしています。
赤ちゃんは結構鋭い!とのコメントをいただきました。
こちらが思うより遠くの細かいことまで見えているようで、びっくりします。
私の母も、「どうやってこんな小さいものを見つけるのだろうと思う」とよく言います。
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(以下、本日の記事です。)
5月に朝顔の種を植えてみました。
植物の育つのを見るのは、子どもの情操教育にいいだろうと思ったからです。
ホームセンターで種を買い、使っていなかったプランターに100円ショップで買ってきた小石や土を入れて、種をまきました。
小学校1年生のときに、学校の授業で朝顔を植えましたが、そのとき以来です。
なぜ突然、朝顔を育てることにしたといえば、子どもでも育てられるほど簡単で、あまり手がかからず、たくさん花が咲くからですが、もう一つ理由があります。
「銀の匙」という大好きな本があります。
作者の子ども時代を振り返って書いた随筆のような小説で、病弱な主人公を慈しみ、大切に育ててくれた伯母さんとの出来事を綴っているのですが、その中にこういう一節があります。
『また鉢植えの草花をかってくることもあった。
寝るときになれば夜露にあててやるといって軒さきに出しておく。
それらの花をみるときの子供心をなんといおうか。
そののちもはや再びすることのできない清浄無垢のよろこびであった。』
(角川書店 中勘助「銀の匙」p51最終段落~P52より抜粋。
なお、文字遣いは本のとおりですが、抜粋に当たり1行ずつ改行しています。)
これを初めて読んだときに、子どもの頃、祖母の家に行ったときのことを思い出しました。
きれいに晴れた夏の朝、早起きすると庭の草花が夜露で濡れて、草の青さや花の色が鮮やかに見えたこと。
雨上がりにきらきら光るジョロウグモの巣。
裏の小川を飛んでいるお羽黒とんぼ。
(注:羽の黒いとんぼで、今では田舎でも滅多に見ません。)
今いるところは、郊外とはいえ首都圏でマンション暮らし、ジョロウグモも見かけなければ、お羽黒とんぼどころか、普通のとんぼすらほとんど見ることはありません。
それでも、私が子どもの頃に感じたこと(と似たようなこと)を我が子にも知ってほしいと思い、せめて朝顔くらい育ててみようと思いました。
さて。私は植物を育てるのがあまり得意ではなく、なぜかよく枯れるので心配していたのですが、朝顔は、どうにか芽を出してくれました。
我が子はまだ朝顔などよくわからないのでしょうが、抱っこしてプランターの前でしゃがみ、
「これは朝顔よ。
葉っぱが出てきたね。
朝顔はつる植物だから、つるが巻き付くように支柱を立てようね」
などと、(小学1年生のときに習った記憶を頼りに)朝顔の説明をしています。
これを将来、子どもがどう思うか・・・?
ちっとも覚えておらず、がっかりすることになるのかもしれませんが、それでも、やれることはやってみようと思い、朝顔に水をやったり支柱を立てたりしています。
子どもの頃は、一度しかありません。
ちなみに、子どもの頃を思い出すと、懐かしくて泣きたくなるような気持ちになると同時に、都合よく忘れていた失敗のことも思い出すので、微妙です。
ジョロウグモの巣があるのに気づかず、ときどき顔をもろにつっこんで、「ぎゃ!」とあわてることがあったことなど、すっかり忘れていました・・・。