ブログの更新は、タイミングが来たと思った時に行おうと思い、ご報告が遅くなりました。

 

2023年9月より、ザ・ユニバースの所属となり、ひと月半が経とうとしています🙏

 

垂木勉さんとの出会いはおよそ8年前で、この業界で「私とは何か」という探究をされている方にお会いしたのは初めてでしたので、いずれは垂木さんのところに集う方々と同じ道を歩ませていただきたいと思ったのがきっかけで、この度私からザ・ユニバースの扉をたたき、あたたかく迎え入れていただきました。

 

ありがたいことに、この短い間にも、新しい出会いや再会が増えております☺️

 

そういった触れ合いや語り合いの中で気づいたのは、

垂木勉さんという存在が大きな求心力となって形成された道が、たくさんの人たちに愛され大切にされていること、

目にする景色はそれぞれ違ったり変わったりしながらも、まだ互いの存在すら確認していない多くの人たちが、今まさに同じ道を共に歩んでいるということです。

多くの人に大切にされてきたこの道を、これから私も共に歩みたいとしているのですから、個人としての足取りもきちんと示しておきたいと思います。

 

 

私がザ・ユニバースに所属するのは、「この営みが個だけではなく、公であるとすることの宣言」としています。

 

 

あまりに表現不足でちょっと意味不明な点も多いと思いますが、現在私が言葉で示せる限界のためご容赦ください🙇‍♂️

 

この先、全て「個」と「公」で統一して記載しますが、「個」は細胞・自我・二元性・分離、「公」はそれに対応する身体全体・真我・一元性・統合に置き換わります。

 

 

 

シーズンが移り変わるのと同じように、意識が個から公へと変化していく流れはごく当然のように起こっていて、

景色は今、これまでの支配・コントロールの在り方に強く焦点が当たり、別の在り方へと向かっていると感じています。

 

支配・コントロールは、例えば「こうしたい、ああしたい」「こうでなきゃ、こうあらねば」とするようなことです。

争い・戦い=恐怖・不安=二元・分離すなわち個とします。

 

これまでと違った在り方へ形を変えるには、まずはこれまでの形がどうだったかを認識し受け入れる必要があるかと思いますが、どうやらそのフェーズでどうしても旧来の形の方を否定しがちで、ゆえにどちらか一方を認められないということが繰り返され続けます。

3階から5階へ上がったと錯覚して、実は同じ階をぐるぐると回っている状態なのでしょう。

 

もちろん、「支配を否定することでは、支配のない形へは進めない」とも言えないですし、そういった景色も過程として必要であるからこそ、ワンシーンとして挟み込まれているとします。

 

しかし、別の階へ移行するというのは、その階で繰り広げていた仕組みに気づき、何にも足を囚われることなくまるごと受け入れた上で、別の仕組みへと移行すると決めることであり、

3階から5階へ上がるということに関して言えば、移り変わる景色は一方向でなく、常に双方向だということを当然のこととすることであって、

 

それは、

「ものごとは一方向(良いor悪い、ポジティブorネガティブなど)だけではなく双方向に捉えることができ、本来はニュートラルなもの」であることや、

「過去から未来への流れと未来から過去の流れは同時にあり、その中心は今」であることや、

「起きる現象のすべての責任の所在は、外であり内である私自身に他ならない」ことなどを受け入れられる境地であると思っています。

 

 

大前提として、

全体に戻ろうとする働きと

分離しようとする働きは

同時にあって、

そのどちらも否定されていない。

 

公的でありながら同時に個人的な営みが常に繰り広げられている。

 

時代がようやく個としての営みの極みに達そうとしているからこそ、公の営みを思い出していきましょうと、いつでも勇気ある人たちが先陣を切って道を指し示してくれている、と捉えています。

 

これまで自他を苦しめ続けてきた個を受け入れて、新しい境地を仲間と共に歩む。

「この営みが個だけではなく、公であるとすることの宣言」とはそのようなことです。

私なりの表現です。


結局営みがあるということは、何かが欠けた不完全なものであり、偏りが生じていることだとしても、限りなくまるに近いものを描き、限りなく真ん中であるということは可能だと捉えています。


これは昔から持っているとても個人的な関心事ですが…

究極の統合、究極の分離の果てに「在るもの」は消滅するのか…というミステリー…

決してこの私には解くことができないし私にはわからない究極のミステリー。。。

 



何はともあれ、この景色全体が私であるのと変わりないという、これすらも変わりゆく概念なのだし、概念をもっともらしく見せてくれる科学的根拠や情報も無限に創造されるのだから、好きな世界観を個人的に持ってさえいれば良いと思ってきましたが…


この世界の捉え方・映り方など、心の奥底から本当に思っていることを嘘偽りなく言葉にすることに挑戦し、それが他者に受け入れられるという今までにない不思議と至福を体感することで、なるほどそういうことでもないかもしれないと感じている昨今です。

 

動画鑑賞会など共にさせていただきながら、色々と語りはしますが、もはや言葉では語れないことを語ろうとしているから、最終的に「そうかもしれないしそうでないかもしれない」というフレーズに行き着き、毎度困り果てている我々です…いやはや楽しい。

故に、拈華微笑。

 

こんなにも愉快なことはないです。

 

ザ・ユニバースの一員として、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます🙏