「仙台」といえば、皆様は何を思いだすでしょう。「ずんだもち」や「仙台七夕」などを思いだす方々が多いのでしょう。食べ物以外に、もっと大事な方がいらっしゃいます。そう!「仙台藩祖·伊達政宗公」ですね。仙台城大広間跡には、伊達政宗騎馬像が。馬上から政令指定都市·仙台を見守っていらっしゃいます。
仙台藩祖伊達政宗公は、永禄10年(1567)8月3日、現在の山形県米沢市で、伊達氏16世·伊達輝宗公の長男として生まれました。幼名は梵天丸(ぼんてんまる)母は山形藩主である最上義光(もがみよしあき)の妹、義姫(よしひめ)です。
5歳の時に疱瘡を患い右目を失いました。一説によると、飛び出た右目が嫌で、傅役(もりやく)片倉小十郎景綱がつき潰したという説があります。政宗公は右目がないため「独眼竜政宗」と呼ばれました。
米沢城にいた時、現在の福島県にあった三春城主である田村氏の長女·愛姫(めごひめ)と結婚しました。
既に世は群雄割拠の時代、政宗は15歳で初陣。父である輝宗が畠山氏に人質の身となってしまったことを聞き、畠山義継(はたけやまよしつぐ)福島県二本松市の人取橋へ向かったのですが、輝宗から「義継もろとも自分を撃て」と叫ばれ、自らの手で父の最期を迎えてしまいました。政宗にとっては辛い出来事だったことでしょう。その後18歳で家督をつぎました。数々の戦を行い、23歳の時には奥羽の大半を従えたのです。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原参陣の命が出た時、政宗公は母·義姫に毒を盛られたという事件がありすぐに小田原へ向かうことはできませんでした。秀吉のもとに向かう時、白装束で向かったエピソードがあり「独眼竜政宗」のワンシーンにも登場しています。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは徳川方の有力な大名として活躍しました。その功により奥羽21郡62万石に封ぜられました。
数々のご事業を行った後、寛永13年(1636)5月24日、江戸の屋敷でお亡くなりになりました。享年70歳。辞世の句は「曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞゆく」ご遺体は一週間程かけて仙台に到着、経ヶ峰にある瑞鳳殿に埋葬されました。
参考図書:マンガで読む「仙台藩祖伊達政宗」