![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/313.gif)
古の御代・・・
許されざる間柄に禁断の花が生まれたという・・・
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/057.gif)
14 私の感想1
道鏡と孝謙天皇の子!
道鏡・孝謙(称徳)天皇・英親王ゆかり(所縁)の地
これまで郷土史家の津布楽 寅雄氏が
記した英親王(はなぶさ しんのう)の
足跡を追ってきました
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/170.gif)
見学を終え、
私の感想を述べたいと思います
しつこいですが、
英親王は道鏡と孝謙天皇の子として
栃木県栃木市大平町富田に
伝承される人物です
正史に登場せず、皇族の系譜にも
存在が確認できません
歴史の闇に葬られた悲運の皇子です
しかし、このように
ゆかりの地を訪ね歩くと
訪ねるたび、一つ一つ噛みしめるように
絶対にこの世に存在した人物なのだと
確信に変わって行きました
闇が徐々に晴れ、霧の中から現れた
御子は、里人思いの心優しい
麗しく初々しいお方でした
正式な記録に道鏡と孝謙天皇の子と
認められていないので、定説には
できないのでしょう
しかし
富田の地に残るリアルな古記録、
伝承、ゆかりの地・・・
「道鏡と孝謙天皇の子」かは別としても
確かに英親王は存在したに違いありません
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140425/18/maimurasaki3233/b4/c8/j/o0720040512919810424.jpg?caw=800)
英親王ゆかりの地 山田の里
ところで
英親王は親の愛を十分に受けて
いたのでしょうか
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif)
こそがどうも気になります
空元気な笑顔とは裏腹に
憂いの中に寂しさを感じさせる少年です・・・
この伝承は両親である道鏡と孝謙天皇は
直接、英親王に関わってきませんでした
父と息子は同じ下野(栃木県)の
かなり近い所にいたのに・・・
本当の父だとは名乗れない
関係だったのでしょうか
涙をさそいます
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif)
息子が病に倒れたとき、
そして亡くなったとき、息子の家来が
下野国府(役所)に申請にきていますが、
父・道鏡が勤めている下野薬師寺は
国府の隣、同じ地域にあるのだし、
息子の状況を知らないはずはありません
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
道鏡は県内外いたるところで活動して
ましたので、お忍びでもいいし、
一介の僧侶としてでもいいから
息子を見舞いに来ていたと
信じたいのです
![1398349867538.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20140425/00/maimurasaki3233/02/09/j/t02200391_0405072012919213553.jpg?caw=800)
英親王ゆかりの寺
一方、母・孝謙(称徳)天皇、
本名・高野姫(たかのひめ)にも
正史とは全然違う、栃木県での
伝承があります
詳しくはこちらをどうぞ↓
日本一ロマンチックな伝説が伝わる
「孝謙天皇神社」のお話です
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
歴史散策・孝謙天皇神社 孝謙の森4 女帝、愛の逃避行!?
↑クリックすると記事が読めます
正史では孝謙天皇の崩御にともない
道鏡は下野薬師寺に別当(長官)として
左遷されたわけですが
栃木県の石橋周辺に伝わる伝承では
実は孝謙天皇は生きていて
女帝の地位をかなぐり捨てて
左遷された愛する道鏡を追って、奈良の
都から下野までやってきた、となっています
そして、都へは帰らず、ずっと道鏡と
下野にいたとも伝わっています
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
正気の沙汰とは思えないほど
都でやりたい放題・暴れ放題だった彼女
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
道鏡失脚後、
むしろ都になんて居場所ありませんよ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
(一説には白馬に乗ってやって来たものの、
病に倒れ道鏡に再会できずに亡くなる)
もちろん天皇の地位は退いてますからね
都を放っておいて大丈夫か、
との心配はご無用です
孝謙天皇が埋葬された場所も
あります(孝謙の森)
孝謙天皇を乗せていた白馬の馬具や
天皇の遺骨も従者の末裔の方々に
伝わっています
これだもの「正史」とは
時の政策・陰謀・ねつ造が
多いに含まれているので、
本当に事実だったかはあやしいし、
あてになりません
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
女帝の地位をかなぐり捨てて、
狂おしく道鏡を頼る姿は
ただの「夢見る女」で
母親らしさは感じられませんね
孝謙天皇と英親王の親子の関係は
どうだったのでしょう
昔の高貴な方々は、自分の子を
自分で育てないのも当たり前だったし、
孝謙天皇は大人げないこともしていたので、
私の印象では、いい年をして
勝手で、甘えん坊の幼稚さを感じます
哀れなひとです・・・・
ですから、どうしても母親としての
彼女をイメージできません
我が子が可愛くない親はいませんが・・・・
下野にやってきたとき、いちもくさんに
道鏡の胸に飛び込むのではなく
まずは、何はともあれ我が子を
抱きしめてほしいのです
病中の英親王の、
我が子の手を取り、必死に見舞う
母・高野姫(孝謙天皇)であってほしいと
願わずにはいられません
もー、二人とも、ちちくり合うのも
結構だが、もっと我が子を愛しなさいっ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140423/17/maimurasaki3233/23/39/j/o0720040512917806753.jpg?caw=800)
おおひら歴史民俗資料館
(国内最大級の木棺 国の重要文化財
英親王にまつわる七廻り鏡塚古墳より出土)
1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
↑クリックすると詳細が読めます
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
話の意味わかります
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
※これがこのブログのシリーズの第一話目です
秘話!高僧と女帝の間に生まれた子
もどうぞ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
↑クリックすると詳細が読めます
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
※このブログのシリーズの最終話から表示されますが、
無関係の記事は、はぶかれ、お話が続けて読みやすく
なりますよ!
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/301.gif)
館長さんの承諾を頂いております
おおひら歴史民俗資料館
http://www.ohirarekimin.com/rekimin.html
長いのでここで切ります
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私の感想2につづく・・・
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