2 道鏡と孝謙天皇の子!英親王ゆかりの寺① | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


古の御代・・・
許されざる間柄に禁断の花が生まれたという・・・


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道鏡と孝謙天皇の子!
英親王(はなぶさ しんのう)所縁(ゆかり)の寺①

道鏡・孝謙(称徳)天皇・英親王ゆかり(所縁)の地


栃木市大平町の富田にある
「如意輪寺(にょいりんじ)」にやってきました








このお寺は、英親王が仮殿を建て、
療養していた場所にあります



ここで英親王のお話の続きです・・・

はじまり はじまり・・・



長い時が経ち・・・

あの英親王の仮殿は
朽ち果て草も伸び放題で
すっかり荒れ果ててしまいました。

よい土地だからと、里人が開墾しようと、
くわを入れました。

すると、大きな蛇が襲いかかり、強風が吹き荒れ
雹までも降りかかりるではありませんか!

恐れをなした里人は、すっかり寄りつかなく
なりました。

ですが、ここにお寺を建てて、
英親王の御霊をお慰めしようと
いうことになり、延徳2年(1490年)2月に
皆川釈迦尊寺をこの地に移しました。

以降、このようにしたことで、
不思議なことは起こらなくなりました・・・。

おしまい



そして、そのお寺が、現在のお寺、
如意輪寺の始まりだそうです


如意輪寺所蔵の過去帳は
英親王は孝謙(称徳)天皇と道鏡の皇子
であると伝え、
また、この逸話も記録されて
いるそうですよ





〈参考文献〉

「大平町ふるさと民話 おおひら風土記」

原文  大平町総務課保管
編集  大平町図書館

 



1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
↑クリックすると詳細が読めます
話の意味わかります
※これがこのブログのシリーズの第一話目です


もどうぞ
↑クリックすると詳細が読めます
※このブログのシリーズの最終話から表示されますが、
無関係の記事は、はぶかれ、お話が続けて読みやすく
なりますよ!





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徳川家康が立ち寄ったことが縁で
徳川家ゆかりのお寺でもある
のですね

1398350568231.jpg




詳しくはこちらを拡大して
じっくりご覧ください↓

冒頭、刺激的な内容です

1398348500863.jpg 


藤原秀郷ともゆかりのあるお寺
なのですね・・・・

道鏡と孝謙天皇のゆかりの地でも
あるわけですが・・・


1398349867538.jpg 
正門部分




堂々と「称徳」って書いてある

称徳(しょうとく)は孝謙天皇が退位し、
再び天皇に即位したときの名です


え~~~っっ、
そんな堂々と「道鏡の子」とか「称徳天皇の皇子」
とか言っていいの~~~

なんだかハラハラ ドキドキ





所在地
栃木県栃木市大平町富田1455





ここから私の推理サスペンスドラマ



道鏡と孝謙天皇が相思相愛だったと
いうのは、私の地元、栃木県の逸話でも
よく知ってました

・・・それだけ仲良しなら子どもがいても
おかしくない・・・と、ふと、思ってしまう
こともありました

いえいえ、いけません
この二人は僧侶・尼です
夫婦でもありません
女帝は独身でなければ

僧侶が公然と妻子持ちの生活を
送っても、ごちゃごちゃ言われない時代は
もっと後で、親鸞がその先駆者になる人
です

親鸞の時代は、隠れて結婚したり、
こっそり妻子がいることもあったそうですが・・・



英親王は12、3歳でここ下野(栃木県)に
やってきますが、この年齢を逆算すると、
孝謙天皇が30代~40代前半(諸説ある)で
道鏡に出会ったころにぴったり当てはまります

この天皇は2度即位してますが、
私は、退位し再び即位するまでの時間が
とてもあやしいと睨んでいます

天皇が母の看病を理由に
天皇を辞め、上皇になっていたとき、
心労からか病に倒れ、道鏡が治療にあたった
ことは有名です

この「母の看病」というのが長年
どうも腑に落ちませんでした

実際にお世話は、
大勢の女官がするのだろうし・・・


本当は、事柄が前後していて、
道鏡の子を妊ったので、それらしい理由で
表舞台からこっそり姿を消して産み、
何事もなかったかのような、何食わぬ顔で
道鏡の助言もあり、
再び即位したのではないか・・・・

または正史が伝えるように
道鏡が治療にあたったことが出会いで
その後、妊ったのかもしれない・・・・


それにしても皇子が「親王」と呼ばれていたのが
ビックリです

皇子は、夫婦でもないし、僧侶である二人が
大罪を犯し、タブーのすえ
この世に産まれ出た子です

禁断の間柄に産まれてしまった子や
なにか訳ありの子は、昔は
「お寺にしまう」のが慣例です

当然、皇子もお寺でお坊さんとして
生活しているのだと思ってました
出所がわからないような名前で・・・

なのに「親王」って
宮中で堂々と皇子をやっていたんですね

下野で足止めをくらった英親王ですが、
奈良から奥州の国府(役所)に
向かっていたわけで、
お寺ではないのですからね

当時の皇族の生活をよく知りませんが、
こういった身の上の子がいるのはざらで、
珍しくもなく普通に宮中で生活できたのでしょうか

異母兄妹間などの近親婚はよくある
慣習だとは知ってましたが、
英親王の件はこれとはまた別件だもの・・・



実際、道鏡と孝謙天皇は夫婦も
同然だったのかもしれないし、

この二人、結構えぐい事も平気な顔してやって
のけてる人たちなので、あっけらかんと親子関係を
公にしていたかもしれない


ま、「生まれた子には罪は無い」と
ゆうやつです

英親王は、英、一説には花房の名の通り、
可憐で何をやってもよくできる秀才だった
のではないでしょうか

何せ、完璧男の道鏡のDNAを
継ぐ子なのだから・・・

今日の道鏡さま
完璧男ぶりを解析してます
こちらもどうぞ





もうさすがに時効です

道鏡様、真実を教えて





1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
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3につづく・・・・


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