15.青い瞳の僧 如宝、鑑真のお寺 唐招提寺② 栃木県から車で大阪・九州・奈良♪ | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


昨年の11月、でかけていた事をつづっています



九州・福岡で従兄弟の結婚式に参列することになりました


私、まいまい と両親とジン(犬)が暮らすのは、栃木県・・・・



ジン の世話どうしよう・・・・

もちろん、私、姉、母は着物を着たい・・・・
着物って大荷物だし・・・・


だったら、犬も連れて
自家用車で九州までいっちゃおう


ってことで、

途中、いろいろな所に寄りながら行ってきたお話です








15の②
14の①の続き・・・・


14.青い瞳の僧 如宝、鑑真のお寺 唐招提寺① 栃木県から車で大阪・九州・奈良♪

今回の記事は、こちら記事の続きです
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こちら記事で「ソグド人の高僧・安 如宝」の
キャラクター紹介しています




鑑真先生、如宝(如法)さんに導かれ

唐招提寺にとうとう やってきました
(とうしょうだいじ)

お寺見学中


専門家ではありません。いい加減な事言うとおもいます。
気になる方は調べまくってください



鑑真(がんじん)の私立(私院)のお寺

唐(中国)の高僧、鑑真は来日して10年後に亡くなります
前半は東大寺、後半はここで過ごしたそうです




唐招提寺



唐招提寺
正倉院と同じ造り?
あ、正倉院より古く、最古の校倉造りなんですね



唐招提寺
不屈の漢
鑑真先生のお墓

「センセーーーーッ 下野からやってまいりました

鑑真・下野の弟子たちとの絆





鑑真は幾度も渡航に挑戦し続け、来日できたのは
有名ですよね

ただ海上での苦難が繰り替えされてたのだと思ってました
違うのですね

なぜ、弟子たちが日本渡航を嫌がったのか・・・
渡航は命に関わるから・・・とだけ昔、授業で習いました


他にも理由があるんですね
なんと当時、出国は犯罪でした


日本の使者がお願いしても
法を犯してまで、日本へ行こうとする偉いお坊様は
現れず・・・
使者は鑑真に出会えるまで9年かかったそうです



ところで・・・
かつて、玄奘三蔵※は法を犯し、インドへ行き、
後に自国の仏教興隆に尽力した人ですが、
鑑真はその玄奘の孫弟子にあたる人です

※玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)
お猿さんの孫悟空なんかと旅したあの三蔵法師のこと
あれは「お話(西遊記)」ですけどね
西遊記は、玄奘三蔵の日記を基に書かれたファンタジー


だもの、鑑真は先生の精神を受け継いでいたのでしょう
行く気満々です

「こんな法律おかしい」って物事の真意を解ってて、実際に
やろうとする勇気、すごい カッコイイ



日本への道のりは・・・

犯罪者になることを恐れた弟子に密告され計画失敗

漂流のあげくたどり着いたら、食糧は略奪され・・・

(略奪?徳の高い鑑真なら、こんな状況でも落ち着いて
分け与えて、賊のあさましい心を包み込み、改心させ
弟子にでもしてそう



うまいこと船に乗った と思ったら、乗せてる方が共犯に
なるのを恐れ、やっぱり降ろされる・・・



日本の使者が皇帝に願い出てみたり・・・
その時の皇帝って玄宗皇帝なんですね

 
あの世界三大美女のひとり、楊貴妃のだんな様ですよ

もともと息子の妃だった楊貴妃に色こいちゃって、
まさかの横取り

楊貴妃もまた、鑑真の愛弟子、ソグド人の如宝のように
西域系の人、ペルシャ(イラン)系?だったとか・・・
人種が融合するあの辺の美しさは半端ないからな・・・

あ、タレントのサヘルさんなんかもルーツは
西域にあるじゃないですか
ね、美しい

話それた

なんと玄宗皇帝からOKもらえた ・・・けど・・・
道教を信仰する皇帝からは、
「だったら道士も連れていくなら、許す」って
言われちゃて・・・余計ややこしい めんどくさい・・・

「え やっぱり、いいです なんでもないです 」って
日本の使者は願いを取り下げたり

そんなこんなで12年が経ってしまい
実際ほどんど海へは出てないそうですね

最後の挑戦(すでに失明している)は4船で出て、
ひとつは行方不明、ベトナム、屋久島、沖縄に漂着と
ちりぢりに・・・
鑑真の船は沖縄に漂着し、鹿児島からやっと日本へ
入国しました

信念を貫いた不屈の漢(おとこ)

鑑真先生、
遙々日本へありがとうございます

唐招提寺
鑑真先生のお墓の前はフワフワ


唐招提寺


唐招提寺


唐招提寺
円の中、唐招提寺って書いてあった

唐招提寺
ここにも書いてある
創建当時は「唐律招提寺」と呼ばれたそうです

私、下野国分寺、下野薬師寺辺り(栃木県)が地元なもので
つい、瓦に反応してしまいます

ウチの方の史跡も瓦がたくさん出土してますよ

※ 歴史散策・下野薬師寺跡 1
※ 歴史散策・下野国分寺跡 国分尼寺跡 3
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唐招提寺


唐招提寺

ふと、地面に面白い可愛いパターン(文様)発見

私は模様・文様にも反応します

唐招提寺
戒壇
戒律を授けるための式場(戒壇を覆う建物は焼失)

ボロブドゥール遺跡みたい・・・




14.青い瞳の僧 如宝、鑑真のお寺 唐招提寺① 栃木県から車で大阪・九州・奈良♪

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おまけ

同じ時代の驚きのお話


古の御代・・・
許されざる間柄に禁断の花が生まれたという・・・


「道鏡事件」の渦中の女帝と高僧は
ただならぬ関係だったと噂が現代でも
おもしろおかしくささやかれますよね

「ただならぬ関係」どころか、子どもがいます
栃木県に伝わる伝承です

女帝が栃木に来てから産んだわけではありません

皇子が栃木県にやってきたお話


日時までもが事細かでリアルな、歴史の闇に葬られた
禁断の少年皇子の伝説です 


衝撃

1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
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