僧侶が天皇になる!?道鏡と孝謙天皇3 | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまいです

私の地元、栃木県にも
歴史の足跡が、いろいろありますよ



と、言いつつ、地元民は地元のことよく知らない
ことって、結構ありますよね



私は恥ずかしながら、解らないことだらけです



ちょこっとの付け焼き刃の知識と、素人考えの意見
で紹介してみようと思います

なるべく簡単に


めちゃくちゃなこと、言うと思いますから、
 気になる方は調べまくってください


丸写しなんて恐ろしいことダメですよ




今回は下野(しもつけ)市あたりのエリア・・・

道鏡ゆかりのエリア・・・

まずは、おはなしから・・・




 ③ 前回のつづき


・・・・そこから孝謙上皇(女性)の、上皇を疎ましく思う

者たちへの粛正、仕返し?!が始まります



今も政治の実権をにぎる、お母さんのお気に入りだった

藤原仲麻呂(ふじわら の なかまろ)を無理矢理

辞職させ、仲麻呂やその息子を殺させてしまいます

もちろん藤原仲麻呂系の人達から新たな芽が出ない
 
よう、つみ取りました


そして仲麻呂系の現、天皇、淳仁(じゅんにん)天皇

(自分から見て甥っ子?でしたっけ)を淡路島に島流し



孝謙上皇は称徳(しょうとく)天皇として返り咲きます



以前の政治のやり方に疑問や不満があったのに、

結局、自分のやっていることは、悲しいことに一緒です

歴史は繰り返す・・・ですね



ま、歴史の影に道鏡ありなんですがね




道鏡は孝謙天皇(名前がころころ変わると、ややこしいので

旧名で呼ぶ)にくっついてから優遇のされ方がすごかった



僧侶として偉い地位はゲットしていたのは、いうまでもなく、

とうとう政治家としても最高の位も手にいれました



そして、いよいよ、これ以上もう登れない、実質、天皇と

変わらないとも言われる、「法王(ほうおう)」の位を

与えられます・・・・



※日本の法王という地位はもともとは孝謙天皇が
道鏡のために新たにつくった地位なんだとか





え、待って、そもそも道鏡って何者?出所はって?

なりますよね
 

そこもミステリアス


歴史の専門家の間でも意見がひとつにならず、

いろいろ説があるようです


貴族の? 天皇家の血筋なのかな?・・・

物部守屋?天智天皇の?血筋だな! とか・・・

弟とふたり、孤児だった・・・   など・・・



日本の仏教はまだまだ発達途上だったようなので、

ここまでの高僧になるには、海外に留学してたんじゃ

ないですかね・・・ってゆうか、もともと本当は外国人

だったりして



(あっ、そっか有力豪族、物部氏なんかは、

朝鮮へ渡り、朝鮮の地元豪族と婚姻関係を

結んでいて、混血児をやがて日本に行かせ

活躍させていたそうですね

道鏡もこのタイプかも




(あ、ひらめきました かつて朝廷に追いやられた

先住の、蝦夷(えみし)と呼ばれた民の血筋で、

今度は、逆に取りかえし、

征服する計画っていうのもありかも





これは現代の見方ですが、

当時からも素姓がよくわからなかったようです

今でこそ、そんなことは気にしないなんて時代ですが、

昔は大問題です



そんな道鏡を良く思わない人はたくさんいたはずです




なので、皇族じゃないとなれない位、法王にすることで

周囲に「この人、皇族なんでよろしく」と半ば強引に

認めさせたわけです



さすが、おっかないオバサン



孝謙天皇のお父さんは東大寺を造らせた人ですが、

自分は西大寺を造り、その中のある、以前、淳仁天皇

が使用していた住居も道鏡に与えたそうです

調べればまだまだありますが、どんどん道鏡にご執心



道鏡はその気持ちを利用していた





とにかく謎が多いので、おバカでどうしようもない話にも

愛ゆえの美しい話にもなってしまう出来事だったのです





秋田犬じん
それで~~~?







つづく





1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!


もどうぞ






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