車椅子で陣痛室に移る間、ちょっとした振動が痛くて痛くて、叫んでいました。

なりふり構っていられませんでした。


陣痛室についたとき、旦那が隣にいてくれて、何か話したような気もするし

話してないような気もしますが、覚えていません。

この頃、陣痛の間隔はおそらく2分程度。


私のイメージでは、

旦那が隣にいて、腰を押してくれて「がんばれ!」と声をかけてくれている

私もそれに励まされ、痛みに耐えているが、

ソフロロジーの音楽が鳴っているのでいくらかリラックスできている。

(ソフロロジーの曲はいつも寝るときかけていたので、これをかけると眠くなる条件反射がつけば

陣痛中も落ち着いていられる、ということらしい)


実際は、

旦那横にいたのかよくわからない、

ソフロロジーの曲うるさい、

とにかく、痛い、いきみたい、痛い、いきみたい、早く終わりにしたい


といった感じでした・・・。

思うようにいかないものです・・・。


助産師と学生さんがやってきて、子宮口を調べてくれたとき、

「5センチです!」みたいに聞こえて、

あれ?まだ陣痛室きたばっかり、、というか病院について1時間半くらいしかたってないような・・・

5センチって結構進んでるんじゃない?なんて朦朧と考えつつ

あーーーー、また陣痛来た!!いきみたいーー!!つらいーー!

という感じのを繰り返していました。


たまひよを見て、陣痛の時は旦那に腰をさすってね、と伝えておいたのですが、

腰をさすってくれようとしたとき、何だかすごく嫌な感じがして、

「さわらないで!!!」と手をのけてしまいました・・・、もうメチャクチャw
旦那がいた事を思い出したのはその時くらい、

あとは助産師さん二人がずっと、


「ゆっくり息を吐いて~~~!」

「目をあけて!」

「いきまないよーまだいきまないよー」


と言ってくれていたのをよく覚えています。

いまだに二人の顔が脳裏に焼きついています。


いきみたい感覚、というのは、私の場合陣痛の痛みより辛くて、

大きくてかたーいう●ちがそこまで出かかっているのにそれをひっこめなくてはいけない

みたいな感じでした。それが2分ごとくらいに1分くらいやってきて、

陣痛の合間にはリラックスしなくていはいけないのに、ただただ次の陣痛が恐怖でした。


何回か内診を繰り返したのですが、その度にどんどん開いていく私の子宮口。

なんて順調なんだ、本で読んだのと違いすぎる、、と思いました。

そのうちどんどん陣痛が強くなり、陣痛室の壁をだんだん叩きながらぎゃあぎゃあ叫んでいたら、

助産師さんが「10センチ最大です!」と内診しながら言ってくれました。


普通の人よりはずっとずっと短い時間であっというまに子宮口最大になったのに

やっといきんでもいいんだ、やっと分娩台に行けるんだ、やっと終わるんだ、長かった・・・と思いました。

というのも、母が兄を普通分娩で産んだとき、分娩台に乗ってからはすぐに赤ちゃん出てきた

という体験談を聞いていたから、切迫早産の私もきっと分娩台に乗ってからは早いだろうと

なんとなく想像していたから、もうすぐ終わりだと思いました。


旦那は。。。ずっといてくれたんですけど。

いたのかいなかったのか覚えてません。

多分ぎゃあぎゃあ叫ぶ私の姿をみて、「あ~~いたそ~~」とマイペースに傍観していたことでしょう。


陣痛室に運ばれてここまで、約1時間の話です。