満月珈琲店の星詠み
発売記念特別掌編

【満月珈琲店の星詠み × 京洛の森のアリス】

©︎桜田千尋先生 / 庭春樹先生


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ある日、京洛の森の小さな本屋
『ありす堂』にトンビがやってきて、テーブルに何かを置いて、すぐに飛び去っていった。

今、一階の店内には、蓮一人だけ。
ありすは本を仕入れに行っていて、ナツメは二階で料理の仕込みをしている。

作家から届いた原稿を読みつつ店番をしていた蓮は、トンビの羽音に我に返って顔を上げた。

「──あれ、今のトビーだよな?」

蓮はもう空の彼方にいるトンビの姿を眺める。

そのまま何を置いていったのだろう、とテーブルの上に目を向けた。

そこには一冊の文庫本が置いてあった。
大きな満月の下にトレーラーカフェが描かれている、幻想的で美しい表紙だった。

タイトルは『満月珈琲店の星詠み』。

蓮は、へぇ、と洩らして、そのまま椅子に腰を下ろす。

パラパラとページをめくり、気がつくと読み込んでいた。

本を読み終える頃、

「蓮様、ビーフシチューの味見をお願いできますか?」

と二階から白うさぎのナツメがひょっこりと顔を出した。

そして蓮が手にしている本を見て、ぎょっと目を見開く。

「れれれれ蓮様、それはわたしに届いたものでは⁉︎」

「あー、やっぱり、ここに出てくる白髪の老紳士って……」

本に目を向けたまま口を開く蓮に、ナツメはぶんぶんと首を振った。

「いえいえ、違いますよ」

「いやいや、だってこの老紳士、河原でうさぎに姿を変えてるじゃん。ナツメしかいないだろ。この後、絶対『ワインとチーズの店』に行ってるだろ」

「いえいえいえ」

「そっか、ナツメは音楽やってたんだなぁ。だから、音楽好きなんだ。演奏が聴こえてくると、食器洗ってる途中でと飛び出して行くくらいだし」

「いやはや、何を……」

「そんで、昔は年上の女性に恋をして……」

わー! と、ナツメは身を乗り出して、本を取り上げようとする。

「ナツメ、最高じゃん。やっぱり小説書いてくれよ、自分の過去をドラマチックに!」

「嫌ですよ! 過去は自分の宝で糧ですが、公開するものではありません!」

「あ、ほら、やっぱりナツメのことじゃん」

「その本を返してください!猫のマスターが私に送ってくれたものです!」

「いいじゃん、別に」

「良くないんです」

うさぎの姿では埒があかないと、ナツメは青年の姿に変わる。銀髪の美青年になったナツメに、蓮は顔を露骨にしかめた。

「あー、その姿にはなるなよ、ありすが戻ったらどうするんだ! またうっとりされたらたまったもんじゃない!」

「本を返してくれたら、可愛いうさぎの姿に戻りますよ!」

「自分で可愛いうさぎって言うなよ」

その時、ありすが店に戻ってきて、絡み合っている二人を見て、ポカンとする。

「え、えっと、蓮とナツメ、何を……」

動揺するありすの手には、『ヴェニスに死す』という本。
同性同士の恋愛を文学的に描いた小説であり、その内容を知るナツメは仰天して、蓮から離れた。

「あ、ありす様、違いますよ!」

その隙にすかさず蓮は、ありすに『満月珈琲店の星詠み』を手渡す。

「ありす、この本にナツメの過去が描かれてるぞ」

ありすは、えっ? と目を瞬かせた。

それはもうひとつの京の町の小さな書店で起こった、小さな事件。