日曜日、天気が良かったので地元では有名な菜の花畑へ行ってきました。

満開の菜の花は、まさしく黄色いじゅうたん。一部だけ畑内へ立ち入れるようになっていて、まるでフワフワの黄色のじゅうたんの上を歩いているような、とってもきれいな写真を撮ることができました。

畑の脇には、青空に鯉のぼりが上がり、子供達が自由に使えるように竹馬や缶下駄が置いてありました。今も昔も変わらないのですね、みんな夢中で遊んでいました。それを見ている年配の方々の目がとっても優しくて、「私達の時はよくこれで遊んだけど、今の子でも楽しいのね」と嬉しそうでした。私まで心が温まりました。

その帰り道。

うちの子は今13ヶ月。歩き始めて1ヶ月。よちよち→トコトコ歩きになってきました。

駐車場で私の後ろをトコトコ。くるりと背を向けてトコトコトコ。おいおい、どこへ行くんだい??名前を呼ぶと振り返り、満面の笑みを浮かべながら1,2,3歩…  あれ?バランスを崩したかな?持ち直すか?いけそうだな。あらあら、やっぱりだめ??

あまりにもゆっくりだったので、逆に出遅れました。

あまりにもゆっくりだったので、手をつかずに顔で着地したわりには軽傷で済みました。

それにしても、わが子の血を見るのはなんと恐ろしいことなんでしょうか。こちらの血の気が引いてしまいます。いつか慣れる日がくるのでしょうか。
親しき仲にも礼儀あり

とても近い人だからこそ知っている事実を利用して、相手の心を傷つけるのは残酷なことです。

相手の欠点や不利な状況を、自分の心にしまっておいて、周囲にも知らないふりをしてあげることも愛情です。

でも、一方の心の中にしまい続けることが困難なこともあります。最良のときを見極めて、出してしまった方が、お互いの理解を深めることもあります。

まさしく、そんな出来事がありました。私の中にずっーと溜めていた気持ち、苦悩、不満をはき出したのです。

もともと、しまっておくべきことではありませんでした。その事実を無視して、なかったことしたまま生涯を共にすることは、逆に間違っているとさえ思えることです。

ただ、売り言葉に買い言葉なタイミングでした。相手にぶつけられたボールに、鉛のような重たい事実をつけて投げ返しました。

おもった以上に相手にダメージを与えてしまいました。

こんなタイミングではなくて、冷静に、論理的に話し合って解決するべき事だったのかもしれません。一方的にぶつけた鉛の衝撃は、相手の心を長い時間苦しめるかもしれない。でも、それだけのことをした事実から目を背ける態度は決して許されない。百万の言い訳があっても許されるわけがないのだ。

たぶん、よかったんだと思う。

出すとき、しまうとき、難しいです。
結婚してから、幸せだぁ 幸せだぁ と繰り返してきたのですが、私も人間ですし、旦那さまにも欠点はあります。息子だって、機嫌のいい日ばかりではありません。それでも私の幸せ計はずっと「すごく幸せ」を指しています。

私は、もともとオール・オア・ナッシングの性格。優しく尽くしていたかと思えば、平気で心をえぐることを言ったりする。何も言わずに一人で抱え込んだ後、許容量を超えると何も手につかなくなる。一度キレると全てを拒絶してキレ続けるくせに、気持ちが収まると真っさらになり、なぜそこまで苛立ったのかさえ忘れてしまう。けっこう、付き合いにくい人だと思います。

外国で夫業をするのはたいへんなことだと思います。責任感のある人ならなおさら。それが分かっていても、私たち家族を心配する周囲は、「頼れる夫になりなさい!」「一家の主としてしっかり家族を守れ!」と追い打ちをかけます。

習慣が違う、考え方が違う、とらえ方が違う、ニュアンスが違う・・・ どこまで行ったら交わるの??

だから、喧嘩をたくさんしたし、「この結婚はうまくいかない、いくはずがなかったのだ」と思ったこともありました。

私達の結婚を、日本人同士の結婚より危うくする要素はたーくさんあります。でも、私の人付き合いが苦手な性格も、彼の男としてのプライドも、育った国が違うというハンデも、乗り越えられる力が私達にはあるのです。私は彼が居るから、彼は私が居るから頑張れる。

幸せ計は今日も「すごく幸せ」を指しています。