私が幼い頃、母が親戚にこう言っていました。

「お姉ちゃんは道理に沿った話し方をするから先回りして止められるけれど、下の子(私)は無茶苦茶だから、口論になると手が付けられない」

私はディベート好きというわけではないけれど、討論には勝つことが多いと思っています。でも、要領よく、分かりやすく、説得力のある話になるように努力しているだけで、無茶苦茶な論法で、自分の考えを有無を言わせず押し付けているつもりはありません。

つもりはないのですが、幼い頃の私の話に無茶を感じていた母の言葉からも、私の話し方には攻撃性があるのかもしれないと思うようになりました。気をつけなくてはいけません。

ただ、私がどうしても許せない話し方があります。それをされると、否が応でも攻撃的になってしまいます。頭をかち割って脳みそを洗濯してあげたくなるような気持ちです。でも、そういう人は基本的に理解ができない人なので、どんなに一生懸命説明しても、気が付くと同じ場所に戻っていて、すべてが徒労に終ったと思わされるだけなのです。すべての私の言葉はブラックホールの中に吸い込まれて、相手の耳には届いていません。

そういう人は、要点を得ない話をします。だから、相手の要点も読み取ることができません。たとえばこんなこと…

①イエス・ノーで答えられるように用意した質問に、延々とお話を始めます。説明はいらないから、イエスかノーを言え、と言ってもまだ分かりません。イエスかノーが言えないならこの質問を取り下げるから黙ってくれ!というしか、イエスともノーともつかない話を聞かされるトラップから逃げ出す方法はありません。

②「今、不幸だ」から始まります。どうして?の質問にはもちろん答えません。要点を得ないのが特徴ですから。ひとつの例え話に5分くらいずつ費やして、どこへ行くとも分からない話が続きます。ただ、批判の対象が私に向かっていることだけが分かります。原因となった出来事に全く触れないまま、何年も前の出来事さえ持ち出してお話は続きます。いつ、何をしたことが気に入らなかったのか?それがないまま、過去も未来も含めた全人格を否定するようなお話を長時間にわたって聞かされることは、拷問ともいえるようなストレスになります。結局、原因となった出来事が誤解であったことが判明しても、そこから派生した人格否定のお話は有効で、まだ延々と話続けることができるのです。誤解を解いても意味がないので、トイレに行く振りをして逃げ出すしかありません。

③話が長くなると要点がぼけるから、例え話をするな→「できません。よりよい理解のために君を思ってしていることだから。」要点を先に言え→「できません。要点が間違っていると、そこから考えた自分の意見が言えなくなるから。どちらかというと、要点よりもそちらのほうが大事だから。」理解を得るのが無理なら、馬鹿をみるまえに船を下りるべきです。

単なるお話好きなのか?ちょっと頭が弱いのか?朝5時半から魔のサイクルにのせられて、遅刻寸前になるまで船を下りられなかった私は、とても疲れていて、感情を持つ気にもなれません。