父のこと | 個性と特性とありのままの間(はざま)で~発達凸凹kids子育て日記、時々アイルランド、一時認知症仲間入りの父のこと。

個性と特性とありのままの間(はざま)で~発達凸凹kids子育て日記、時々アイルランド、一時認知症仲間入りの父のこと。

子どもたち(高2・中3・小5)のこと、発達障害(上の二人)のこと、留学していたアイルランドのこと、サッカーのこと、そして二世帯同居の認知症を発症した両親のことなどなど、つれづれと書いていくつもりです。

おはこんばんちは。
ばいーあです。

たまには、父の話でも。

父は、2年ちょっと前に

アルツハイマー型認知症と診断を受けました。

それはまるで、ワタシが金沢に移住してくるのを待っていたかのように悪化していきました。

前々から、母より電話で話は聞いていたけれど

実際にこちらに来てから父と過ごす時間が増えるたびに

疑惑は確信へ。

やはり物忘れが激しくて、

仕事もミスが増え

自営だったのですが、

少しずつ仕事を減らしていき

父が受けた電話はこちらも内容をすぐに確認できるようにして

ワタシも、なるべく父と共に行動するようにして

何とかかんとか

仕事をフェードアウトできました。

一応、師範の資格を持ち、

大会に出たり、教室もやっていた

詩吟もやめました。

病院は、自ら望んで行ってくれたこともあり、

そのへんはスムーズに行けたことは

幸せやったな、と思っています。

「ワシの頭はどうなっとるんや…!!」

が、当時の口癖でした。

そして、母はやはり毎日家で顔を合わせるから

思うところたくさんで、大変やと思います。

同じ話何回もするしね。

でも、ワタシは、

1号ちゃんの、激しいスケジュール確認作業で
(何回も何回も予定確認をしにくる)

まあまあ免疫がついているため

多少の同じ話は、平気だったりします。

ま、でも、それは離れて
(と言っても歩いて10分)
暮らしているからやよね。

ワタシも、1号ちゃんの同じ話の繰り返しには、正直イラッとすること多いもん。

現在は、病院関係は全てワタシが付き添って通っています。

やはり、父の認知症の告知を受けたときは
(ちなみにワタシ一人で先生からの告知を受けました)

ちょっとショックだったけれど、

全く新しい情報は上書きされず、
終わったことは全て忘れてしまう、

…であるがゆえに

周りから見れば、同じことが何度続いても
父にとってみれば、毎回が新鮮な出来事で、

一度感動しても

終わったことは全て忘れてしまうので

あとで、もう一度、同じように感動できちゃう。

ある意味、これって幸せなことなのかもしれない、

と思う今日この頃だったりします。

お正月は、家に届いた年賀状を見て

「こんなワシに年賀状くれるなんて、なんてありがたいんや…!!」

と涙を流しておりましたが

その10分後に

目に入った年賀状の束を見て

「こんなワシに年賀状くれるなんて、なんてありがたいんや…!!」

と、また涙を流しておりました。

…デジャヴか(笑)!

「いいねー、何度も感動できて」

「あれ、ワシ、これ見たんやったかいな?」

…などという会話が毎日何度も繰り返されているわけですが

記憶以外は、低め安定の父。

発達障害のある1号2号(3号…は未診断やけど何か持ってると思う)たちのように

認知症の父もまた

「今」を生きる人なんだなぁー

と、しみじみ思う今日この頃なのであります


(車窓から見えた富士山)


そうだ、「今」をしっかり生きよう。