おはようございます
今日あたりまでお天気が良いみたいで清々しい朝です
母がいなくなってからの毎朝のルーティンは…
6時20分起床
息子が学校に持って行くおにぎりを作り
お湯を沸かしてお母さんに大好きだったコーヒーを入れてお仏壇へ
6時半に息子を起こし
7時前に息子を見送り
30分ほどマッタリタイム
7時半頃、娘を起こして朝食&幼稚園の準備
8時15分までに掃除機をかけて出発
こんか毎日を過ごしております
ちなみに旦那は私が起きる頃に仕事へ行ってます
お母さんが癌と診断されたのは2021年6月でした
原発は肺…
リンパにも数ヶ所転移していて既にステージ4
心臓に若干の水も溜まってるとの事で放射線療法は出来ず延命の為に抗がん剤治療しか出来ないとの事で2021年8月から抗がん剤治療がスタートしました
抗がん剤治療中は吐き気止めを内服しながらではあったけどやはり食欲も落ちて吐き戻しもたまにありながらそれでも通院して頑張ってくれてました
最初の抗がん剤は4クールで合っていないとなり変更へ…
その後の抗がん剤は母にすごく合っていたみたいで1年ちょっと続ける事が出来ました
ただ抗がん剤後に白血球が下がるために白血球数を上げるための筋肉注射を2日連続でしていてそれが結構キツそうでした
4〜5日は動くのも辛そうで横になっている事が多かったかな
それ意外は本当に癌患者なのって思うくらい元気でアルバイトに行ったり大好きなパチンコに行ったり
友達と温泉旅行に行ったりと活発に生活してました
2022年になってすぐには白内障の手術も受けてめちゃくちゃ見えるようになったみたいで
『こんなに見えるようになって気持ちいいお母さんもっと長生きしたくなっちゃった
』
ってLINEが来たのを今でもすごく覚えてます
そして2個目の抗がん剤が効かなくなった2023年夏…
肝臓にも癌は転移していてこの頃から抗がん剤治療中じゃなくても吐く事が増えました
元々肺癌で咳き込み過ぎて戻す事はあったのですが咳に関係なく吐くようになって常に袋を持って生活するように
この異様な吐き気は脳への転移からでした
主治医からガンマナイフを勧められめちゃくちゃ悩んでいたお母さん…
年越し出来るかわからないと言われた後だった事もありもう長くないのにガンマナイフをする必要があるのかと色んな医療者に聞いてました
私としてはガンマナイフを受けて吐き気が落ち着いてほしいのと脳に転移したままだと本当に最期が近いかもしれないという恐怖もあり受けてほしいと頼み込みました
それが正解だったのかいまだにわかりません…
結局ガンマナイフを受けたのは2023年10月…
母が亡くなる4か月前でした
怖くて怖くてたまらないと言ってた母…
付き添いは必要ないとの事で私は介護の学校に行っていたのですが治療当日母から送られてきた写真を見てが飛び出そうでした
めちゃくちゃ笑顔やーーーん
あんなに怖い怖いって言ってたのに何でそんな楽しそうなの
頭に麻酔打ってボルトで器具固定されてそんな笑顔の人いないゎ学校で笑いを堪えるのに必死でした
けどこのガンマナイフのおかげで亡くなるまでせん妄がおきたり意識が曖昧になったり叫んだりする事も無く母らしく最期を迎えられたような気がします
亡くなる10日くらい前からは足の浮腫が凄くてマッサージしても足浴をしても全然改善しなくて…
足に溜まった水分が皮膚から湧き溢れて来てしまい訪看さんが軟膏を塗って包帯を巻いて足の下にパットを敷いてくれてたけどこれは最後まで残った症状でした
母は最期の1か月ベッドに横になる事はなく枕やクッションなどで支えながらずっと座った状態で過ごしていました
寝る時も座ったまま…
オーバーテーブルにもたれて眠る事もあり…
なのでどうしても褥瘡が出来てしまい訪看さんや私でトイレのたびに軟膏を塗ったりマッサージをしたり洗ってあげたりとしていたけど横になれない母の褥瘡は改善する事もなくどうすることも出来ず後悔が残っています
母の事をブログにすると長くなってしまう
母の頑張った姿を残したい
母をずっと覚えていたい
そして今でもばぁばが大好きな娘にいつか読んで欲しいって思って残しています