新年度スタートしましたね照れ


我が家の娘は年中さんに飛び出すハート


息子は看護専門学校1年生にスター


来週は入学式&入園式が連続で予定されてますガーン


さて大好きな母の49日が終わりようやく落ち着いて来た我が家乙女のトキメキ


母の話をしようと思いますおねがい


母が亡くなり訪看さんがエンゼルケアをしてくださり死化粧は私とイトコでしました付けまつげ


お着替えさせる洋服は母が出掛ける時頻繁に来ていたデニムのチュニックと黒いスキニーエプロン


お通夜、お葬式で母に会いに来て下さった方々から母らしいと言ってもらえて凄く嬉しくなりました花


母は去年の夏に長く続けられていた抗がん剤が効かなくなり在宅酸素の生活が始まったのですがその頃から年越しが出来るか微妙だと思うとドクターに言われてしまい泣


終活が始まりましたアセアセ


葬儀社から資料を取り寄せたり私とイトコで見学に行き金額を聞いたりして…


並行して遺影の写真を母と一緒に決めたりしました気づき


母は楽しそうに決めてたけど本当は怖くて不安だっただろうなえーん


母の希望としては家族葬で私の住む市内でして49日に島に連れて行ってお墓に入れて欲しいとの事でしたキラキラ


亡くなってすぐ島に連れて帰るとなると莫大な金額がかかるとの事でタラー


母は生命保険もお葬式代が出るくらいのものしか入ってなくて母の妹が癌で亡くなった時(7年前)に何故か癌になる事は無い!!と変な自信があったらしくガン保険にも入ってなかったガーン


なので闘病中は高額療養費の申請はしていたものの毎月診療代、薬代で約2万ほど…

抗がん剤で月1の間隔で1週間〜10日入院していたので4万ほど…

トータル6万ほどかかっていてポーン


1人で歩ける間は我が家と実家を行き来🚢していたので交通費も1万5千円くらいもやもや


ちょうど1年前の春頃までは治療の合間に知り合いの農家さんのアルバイトをしたりして病院代は母自身の収入でやりくり出来ていたけど収入が無くなってからは結構大変でしたハッ


なので葬儀代を極力押さえて少しでもお金を残して今後の初盆や年忌に充ててほしいというのが母の願いでした星


葬儀社はTHA家族葬な所とこちらでは結構有名な葬儀社の2箇所に話を聞いてみて家族葬は直葬なら安いけど全てがオプションみたいになっていて料金的に変わらなくなる感じだったのでサービスが充実している有名な葬儀社がいいと母と2人で決めましたダッシュ


母がまだ元気な内に死後の事を決めた事は本当に良かったと思っていますキラキラ


周りの友達とかには『まだ元気なのにそうゆう事良く考えられるね…』と批判もされたけど滝汗


母の希望を聞いてその時が来た時焦らずバタバタする事もなくスムーズに執り行う事が出来たので私も終活は早めにやっておこうと思えました照れ


母が亡くなったのは2月4日の朝4時でその日がお通夜、翌5日が葬儀となりましたスター


訪看さんのエンゼルケアが終わった朝6時頃に決めておいた葬儀社にスマホして朝9時には来てくれる事になりそれまでに母に持たせる物などなど準備したり葬儀場に1泊するので自分たちの準備などを済ませて葬儀社の方が来てからは私は葬儀の打ち合わせや葬儀の手続きなどたくさんの書類を書きうずまき


実家からばぁちゃんやお姉さん達が来たけど話す時間もないくらいでしたアセアセアセアセ


🏠から葬儀場へ移動したのはお昼前びっくり

葬儀場に着いてからもお通夜や葬儀に来て下さる方の為に生ビールや飲み物、軽食やお菓子を近くのスーパーに買いに行ったり…


葬儀社の方との打ち合わせがあったり…


何かとバタバタガーン


そして朝方準備している段階で母のスマホを見てよく母がLINEやメールをしていた方4名ほどに母が亡くなった旨を知らせていたのですがその知らせていた方々がたまたま母の同級生、介護施設で働いていた頃の同僚、島での友達だったみたいで乙女のトキメキ


その方々がそれぞれ連絡してくれてお通夜、葬儀と本当にたくさんの方が母とお別れをしに来てくれましたおねがい


来ても20人くらいかなぁって予想していてお返しの品もそのくらいしか準備してなかったけど途中で追加しないといけなくなったりまた買い出しに走ってもらったりと大忙し気づき


結局両日で100人近い方が来て下さり、母はたくさんの人から愛されていたんだなぁって凄く嬉しくなりましたラブラブ


たくさんの方と母の思い出話をしていっぱい笑っていっぱい泣いた2日間でしたルンルン


またまた長くなって来たので続きは後日ギザギザ


こうやって振り返る事が出来るようになった事、思い出して涙を流す事が少なくなってきたこと、母がいなくなってしまった事を受け入れらるようになったんだなぁと思いますキラキラ