私の母の話をさせて下さい
母は20歳で結婚
それからなかなか子宝に恵まれず不妊治療をしたりしながら10年
子供を諦めた頃に自然妊娠で私を身籠り出産
30歳で母になりました
それから10年
女癖の悪いお父さんと離婚しシングルマザーで私を育ててくれました
何度も何度も母を泣かせ人並み以上に迷惑をかけ…
53歳でおばぁちゃんになり
母に楽をさせてあげられるようになったのはここ5年くらいかな
温泉や食事そして旅行に連れて行って67歳で2人目の孫が産まれて2歳になる前に肺癌ステージ4と診断されました
孫達の成長をとても楽しみにしていた矢先の病…
看護師を目指して高校に入学したばかりの息子
ヨチヨチ歩きを始めたばかりの娘
肺癌ステージ4の5年生存率は5〜10%
息子の看護学校は5年間教育…
母は孫が看護師になるまではどうにか生きたい
手術や放射線治療が出来ないと言われても抗がん剤で少しでも延命出来るのなら頑張る
そう言って重い副作用に耐えながら治療を続けてくれました
母が癌になってからはそれまで以上にみんなで旅行に行ったりたくさん思い出作りをしました
お花が好きだった母とその季節毎の花を見に行ったり
美味しい物が好きだったのでたくさん食べに行きました
そして2023年12月…
癌になって2年5ヶ月…
ずっと頑張って来た抗がん剤治療をこれ以上続ける事は難しいと言われ治療が出来なくなり年を越せるかも分かりませんと言われてしまいました
母は最後の年越しはみんなで実家で迎えたいと言い1週間程先に実家へ戻り私と息子は学校や自動車学校もあった為年末ギリギリに帰省する事に
そして帰省した翌日にコロナ発症
すぐ隔離生活したけど私→息子→娘→お母さんと順番に移りお母さんは地元の総合病院に入院
そこから一気に悪化してしまいました
10日程して退院した母は1人では歩けず支えてもらわないと歩けなくなり…
食事も殆ど食べられなくなり一気に痩せていきました
退院した日に実家から私の家へと帰って来たけどやはり体調が悪い為に癌治療をしていたいつものへ入院
入院希望したのは母だったのに翌日からもう帰りたいとしつこいくらいに LINEや電話して来て
入院翌日に主治医とカンファレンスがあり…
往診をしてくれるクリニックと訪看をこちらで紹介します。もう長くないと思うからお母さんの望む最期を考えましょうって言われました
癌が分かってから母と何度も話し合い最期は私の家でみんなと一緒がいいってずっと言われていたので主治医にもそう伝えてありました
そして2024年1月14日
2泊3日の入院を経て我が家にお母さんが戻って来ました
しかし家に戻って来てからやはり不安や恐怖が大きかったみたいで殆ど眠る事なく朝を迎えました
朝の浮腫も凄くてマッサージして‼️といいひたすらマッサージ
眠いから少し寝かせてと頼むと…
『お母さんこんなにキツイのに自分ばっかり寝るの⁉️』と
1日で限界を感じてお母さんのお姉さんにヘルプ
(母は5人姉妹で真ん中)
15日の夕方には実家からで来てくれました
そこからは私とおばさんと交代で寝ながら母の足や腕をマッサージしつつトイレ行く時は手を引き殆ど食べない母の為に好きな物を作り…
そして子供達の事や家のこともしながら生活しました
週1回の往診と1日2回の訪看
たくさんの人の手を借りながら今までいっぱい迷惑かけて来た分やらなきゃという使命感で
自宅に帰って来て1週間が経った頃にはトイレにも行けなくなりポータブルトイレでするようになりました
どんどんと出来る事が減っていく母を見るのは本当に悲しくて辛くて
それでもマッサージしたりしながらいっぱい話をして…
けれどポータブルトイレを使用し始めてから1週間すると今度は殆ど話せなくなりました
こちらが話しかけると頷いたり首を振ったりするけど大好きな母の声を聞くのは1日1回あるかどうか…
娘がばぁばのおててマッサージするー
って言うとニコっと笑って手を差し出す母と娘の様子を見ながらまだ大丈夫
もう少し頑張ってくれる
そう思ってました
そして2月3日節分
なかなか出掛けたり出来なくなり豆も買わずにいたら私のイトコが恵方巻き作ったからって持って来てくれてお母さんも食べるーって冗談を言いながら私と息子、娘、旦那、おばちゃん、イトコ、イトコの娘、そしてお母さん8人でワイワイ楽しく過ごしてました
節分も終わる23時頃ふと母のspo2を測ってみると83しか無くてしんどいって聞くと頷くので息子に血圧を測ってもらったら80/50とかしか無かったので急いで訪看さんに電話
15分くらいで来てくれて在宅酸素の機械を使っていたので数値を上げたり母の体勢を変えたり色々試していくとspo2も97とかになり血圧も安定して来て脈圧や肺の音も悪くないからって事で日付が変わって少しした頃訪看さんは帰って行きました
そしてイトコも落ち着いた母を見てまた明日来るからねーと午前2時頃帰っていきみんながいてワイワイしていた為に珍しく娘も起きていたので寝かし付けようと布団に入ったのが2時半でした
寝かし付けながらいつの間にか私も夢の中へ
するとおばさんが大きな声で私を呼んでいるので目が覚め時計を見ると3時ちょうど
『息して‼️起きて‼️』
おばちゃんが母に泣きながら呼びかけてました
すぐにお母さんの側に駆け寄ったら寝ているみたいに穏やかな顔…
脈は見つからない…
何度もお母さん‼️お母さん‼️って呼びかけたけど反応もなく訪看さんと往診のドクターに電話
訪看さんが来るまで10分くらいずっと呼び続けました
お母さんの姉妹にも電話した
心臓マッサージするように言われたけどできなかった
自宅に帰って来てから死の恐怖とも闘ってた母は眠りながら逝きたい…
もうしんどいし怖い…
苦しみたくない…
何度も私に弱音を吐いてました
どんなに抗がん剤治療がしんどくても弱音なんて吐かなかったのに…
だから眠りながら逝ってしまった母の心臓マッサージをしてもし戻ってきたらまた苦しくて辛い思いをさせてしまうって考えると名前を呼ぶだけしか出来なかった
そして訪看さんが来て脈がない事を確認してドクター待ち
30分くらいしてドクターが来て死亡確認
お母さんが死んだ…
母1人子1人でずっと側にいたお母さん…
ありえないくらいに泣いた
でも癌が分かって2年7ヶ月ずっとずーっと頑張ってくれたお母さん
孫たちのため、私のため一生懸命治療してくれた
仕事も出来ず金銭的余裕も無かったけど家事や育児を手伝ってくれながら本当に頑張ってくれた
苦しさや辛さ、恐怖や不安たくさんの感情があっただろうけど笑顔で明るく前向きに頑張ってくれた
だから私は悲しかったけど頑張ってくれてありがとうお疲れ様ってゆう気持ちが強かった
まだまだ書きたい事があるので次回に続きます