良くも悪くも、自分のアウトプットというのは、形を変えて自分に返ってくることを思うと、
一時的な感情の乱れでホイホイとリリースするのはよくないな、と他人を見て、自身で、学びます。
飲み込む言葉、封印する想い、自分のプリンシプルに照らして恥ずかしくない行動。
誰か見ている、それは宗教を問わず神様であり、無宗教の方であればsomething great なのでしょう。
今日は満月、自然が似合わないワタクシも、空を見上げたり、光に見入ったり。
あえてアウトドア的な行動をしなくても、日々のちょっとしたことで五感を鍛えることは可能なはず。
逆に言うと、何も意識していないと、五感も直感も感動する心も退化していくんだろうな。
表情に乏しい生活をしていると、そういう顔に、性格に、凝り固まっていくように。
自分ワールドで、なんで?もしかして、what if, そういえばetc. 好奇心の泉を絶やさないようにしたい。
その泉が枯れると、どうでもいい他人に執着するようになる気がするから。
今日何回、わ~い、へぇ~、やったぁ~etc.ラブリーな顔をしましたか?