3.11の時、あなたは何をしていましたか?

 

私は自衛隊にいました。あっ自衛官じゃないですよ、私は。(笑)

 

私は勤めていた保険会社が防衛省の保険を販売していて、

 

私の配属先は陸上自衛隊の駐屯地だったのです。

 

あの日以来、私達の生活は一変しました…。顔見知りの隊員さんが次々に戦地(被災地)に

 

赴いていく…。

 

私の本来の任務は隊員さん達の保険整理、そして営業でした。

 

しかし、この時営業する元気はなく、ただただお見送りするのが精一杯の心境。

 

まるで、第二次世界大戦の兵隊さんを見送る家族のようでした。

 

(無事に帰ってこれるのだろうか…)

 

私にはこの経験は辛すぎ食事ができなくなっていきました…。

 

当時私は結婚を考えていた大切な恋人がいました。彼は航空自衛官でした。

 

みんなに『隊長!』と呼ばれていた彼は、私からみても、とっても自慢の彼氏でした。

 

私もモチロン『隊長!』って呼んでいましたよ。(笑)

 

隊長が被災地入りするのが決まってしまい、私はすぐ上司に事情を説明して、仕事を休ませ

 

てもらい、彼のいる山口の基地にお見送りに向かいました。

 

当時の新幹線は、震災の次の日九州新幹線が開通したというのに、大きなセレモニーは

 

中止になっていました。とにかく私は必死に新大阪から博多行きの新幹線に乗り込みまし

 

た。東京から来ている新幹線でしたが、平日の新幹線なのに、乗客はいっぱいでした。

 

お母さんと赤ちゃんがとっても多く、皆、東北や関東から被ばくを免れるために避難している

 

んだとすぐに悟りました。あちこちから赤ちゃんの泣き声が車内に響き、私はこみあげてくる

 

涙でいっぱいでした。

 

こういう当たり前の光景が、当時ニュースにならなかったのです!!新聞でもテレビでも。

 

私は新山口で降り、そこから在来線で彼のいる山口県・防府に向かいました。

 

彼の出発まで1日あったので最後の晩餐を一緒に食べました。

 

最後の晩餐は二人とも食べれなくって、駅前のミスタードーナツにしました。(笑)

 

彼は2つドーナツを食べていたけど、私は1つのドーナツを半分食べるのがやっとでした。

 

愛する人が、明日戦場に旅立ち、明日確実に被ばくするという事は私には辛すぎて現実を受

 

け止めることもできませんでした…。

(つづく…)