さて、飯塚幸三の裁判が始まりました。
以前一度この件を書いた際、アメブロの検閲に引っ掛かったようで、ある日閲覧数と、良いねがこの記事だけゼロになり、おぉ上級国民さすがだなと感じたところですが、また書きます。
ちなみに、創価学会について書いた時も同じことが起きました(´ω`)y~不思議ですね。
89歳と言う事で、記憶も行動もあやふやな部分もあるでしょうが、裁判所にて自分はアクセルを踏んでおらず、プリウスが壊れていたとの証言をした彼は、おそらく今までの人生で自分が間違っている事を咎められた事が一度たりともなかったのでしょうか。
それが上級国民たる者としての矜持なのでしょうか。
下級国民達を1人2人轢き殺した所で、私が今まで奉仕した日本国に対する全ての事柄を鑑みればそんな事は枝葉の問題だ。
とでも言いたいのでしょうか。
どうやら裁判中に居眠りもしていたようで、未来ある人間を轢き殺した人間としては随分な態度です。
加えて、左翼系メディアはこの出来事を加害者が責められ過ぎて可哀想だとの論調です。
くしくも同じような時期に未来ある人を轢き殺した人間の裁判が行われ、片方は車が壊れていたとの主張をし、片方は人生の最後に自分がした事の責任を取りたいとの主張。
一般常識に照らして考えれば、女子高生を轢き殺した犯人の主張が納得感があります。
処罰感情で量刑を決めてはならないし、法の下で全ての人は平等でなければなりません。
日本は法治国家ですから、私が犯した罪も飯塚幸三が起こした罪も同じように裁かれなければなりません。
彼は89歳ですから、無罪主張をすれば公判は長いものになり、そうこうするうちに無罪を主張したまま被疑者死亡を狙っているのかも知れませんし、おそらくそうでしょう。
この裁判が5年続けば彼は今より弱るだろうし、収監できない可能性も高まるでしょうし、無難に病院の布団で家族に見守られながら最後を迎える可能性も十分にあるでしょう。
私は過去何度も書いていますが、年寄りが嫌いです。
これは好き嫌いの問題ではないかも知れませんが、彼らは日本をこの形に作り上げた張本人です。
あれほど優位だったのになぜ20年経済成長が無い2流国家に転落したのか。
その責任は彼のような上級国民にあり、もはや日本が先進国として米国と双璧を成す事はほぼ不可能なまでにその差が広がりました。
結果、アメリカの決めたとおりの国家づくりをし、今もアメリカの為に日本のあらゆる資源は収奪されています。
それを行ってきたのは政府と彼のような人間たちの集合体で、日本をここまで貶めたのだと私は思います。
誰もが、自分の主義主張をする権利があり、平等に裁かれる権利がある。
当然にそれは彼にも言える事ですが、プリウスは彼の乗っていた2代目で累計300万台売れています。
それでも彼がアクセルを踏んでいないのだと言えばそうなのかも知れないし、少なくとも裁判を引き伸ばす事は出来ます。
しかしそれをして、自分の名誉を守るとして、その為に被害者遺族はいつまでも前に進む事も出来ず、犯人の謝罪も無く、事故の日からずっと今日も明日も来年も灰色の世界が続く訳です。
過失致死ですから、もちろん死刑になどならないし、仮に懲役でも10年も入らず刑務所で死ぬことになるでしょうが、それにしたって幾ら刑務所で人生が終わるのは嫌だとしても、あんまりです。
私だってもし事故を起こして加害者になってしまえば、アクセルが戻らなかったとかブレーキが効かなかったと言いたい気持ちにもなるやも知れません。
なるやも知れませんが、それが通るか通らないかぐらいは40年ちょっと生きてりゃ流石に解ります。
自分の行動の結果が誰かの人生をめちゃくちゃにしてしまい、かつそれが今回は子供と奥さん、そして旦那さん。
それらの親族、関係者。
何十人もの人生を台無しにしてしまったという事実そのものは動かないのに、それでも詫びないのは、ここで詫たら自分の89年がパーになってしまうからでしょう。
自分の人生がどのように終わるか。
世の中の大半が彼にブチギレて居るのは、彼が轢き殺してしまった事実ではなく、轢き殺した事実を認めず車やら何やらのせいにして、自分の非を認めない事にあるはずです。
しかし、日本でも逮捕されない特権のようなモノを持つ一部の階級が存在するのは間違いなく、それをするかどうかを決める警察は大きな一つの利権組織です。
警察が利権組織でないならば、今日までパチンコ屋が換金しても捕まらない理由が無いし、ソープランドで売春が許される理由がありません。
また同様に法治国家であると私達が思い込んでいる日本は、コネと権力で捕まったり捕まらなかったりする事が当たり前に起こっており、一般人用と上級国民用では別の法運用がなされているのが事実です。
アメリカでは警察官の質が問題となり、全米でデモが続いています。
日本の警察官は世界で見ても優秀と言えるレベルなのやも知れませんが、警察の親分達が彼を逮捕しないと決め、拘置所にブチ込むのは止めておこうと決めたわけで、そこに忖度が無かったと言う方が不自然です。
罪を犯す事は誰しもに降って湧いてくる可能性がある災厄とも言え、今まで起訴された事が一度もない真面目な人だって、こと交通事故などの類は自分がそれを起こそうとして起きたのではなく、結果犯罪行為になってしまった人が殆どであるし、そこに飲酒やら今回のような運転技能を有しない過失があったとて、それでも起こそうとして起こした訳ではないのだから、そこは情状酌量すべきだと思います。
しかしそれら情状酌量は、全て本人が自分の起こした出来事について責を認め、2人殺して複数に怪我をさせているわけですから、それに見合う量刑を受け入れ、刑務所で残念な人生の最後を迎える。
これぐらいは受け入れなければ、平民である私は全く納得が行かない訳です。
それでも今後起こる事を想定しますと、まず地裁判決が出て、被告が控訴し、高裁の審理が行われ、判決が出て更に控訴し、最高裁でも覆らずに、判決が確定する前に飯塚幸三は寿命で死に、無事に逃げおおせた上で被疑者死亡で勲章を貰った立派な人として、新聞の隅っこにちょびっとだけ記事が書かれて終わることでしょう。
これが日本のクソみたいな上級国民たちが作った制度です。
残念ですがこれが事実で、どれだけ世間が騒ごうが、遺族が努力しようが、このような仕組みは変わることなく今後も受け継がれて行くでしょうし、彼の家族もまた上級国民として平和で上質な生活を謳歌し、10年もすれば全て有耶無耶になり終わるのです。
これが民主主義なのかとヘドが出ますね(´ω`)y~