幸せとはなにか(´ω`) | 仮想通貨や暗号資産、ビットコインに乗っかるニートおじさんのぼやき

仮想通貨や暗号資産、ビットコインに乗っかるニートおじさんのぼやき

投資歴15年ちょっとのおじさんの日々。
株投資少し、暗号通貨市場をメインにしました。


専業生活からクソみてーな損をして再び兼業生活に戻り、また専業に戻り、を繰り返しています。

ビットコインは447000円が目先天井になりそうな中、板が薄くて危なかっしい状況が続きます。

 

1h足fx

水色の丸位置に注目してみますと、この斜めLINEに触る場面で強く下げています。

これは2度強く下げ、いまから後の時間には447000円あたりに滞空し、斜め下に来ている形。

4h俯瞰

 

さて上の1hを4hで俯瞰にしてみますと、上にあげた画像の強く下げるきっかけになっているLINEはなにかと考えた場合に、こちらの75万界隈から36万界隈に向かって出来上がったLINEに対するピッチフォーク。

447000円付近にこれが走っており、昨日447付近を触りに行った後の値動きはご覧の通りです。

その後数回ここをトライしていますが、ここを抜くのかどうか、抜いた場合にどこまで行けるかと考えてみた場合に、long目線ではこれでトレンドが転換してゆき、日足の雲に吸い込まれる。

日足雲上限が55万ぐらにおりますから、ここまでゆくのではないかという目線が持てる事になります。

 

この角度で使ってよいのかどうかはわかりませんが、ともかくこのLINEで折れています。

日足200MAが今現在66万ぐらいにおりますし、もしも今年仮想通貨上げならばこのまま下がらずに75万からの下落以降初となる日足雲への突入になります。

日足

 

この価格帯で横にインするほかないと思うし、そんなに激烈な下げの手前には見えません。

オシレーターのイチ取りとしては弱い水準ではなく、ここから下げても分かる形ではありますが、強烈に下げるようになるよりは、どこまで行っても415000円(3800ドル)ぐらいで止まるだろうし、そこを目指すショートを取るにしても44万より上ならいいけど、435000円ぐらいだと昨日みたいに1万幅担がれて、戻ると思ったら45万抜けて大炎上という形がありそうな目線。

そのように見ていくと、43万接近ないし貫通はlongするしかないし、44万抜けてきたら昨日のような強い下げが来るのを期待して天井をショートしたい形に見ております。

 

さて、ビットコインの解説はここまで。

ここから人生の話です。

 

私は働くことが嫌いだということをブログでたびたび書いておりますが、仕事をやめて2年が過ぎようとする昨今、専業でトレードして食べていくのも働くことよりよほど大変だよなぁと思うことしきりです。

何なら今年はなにか仕事したいなぁとか思うフシもあります。

 

昨年度末の株式市場の雪崩について、あれが年初からああなると私は去年思っていて株で損しましたけども、その後ビットコインのほうはこれしか見なくて良いので、半年ぐらいでどうにか対応出来るようになりだしました。

 

されとて、ビットコインは株にはないサーバーラグでの大損だの、税率の不利だの、レバレッジ関係の規制がどうなるか、金商法には入れるのかどうか、等々のイレギュラー要素が株の比ではありません。

 

だいたい毎月生活費稼いだらそれを出金して、月末に税金分も出金するような事をしており、倍々で資金を増やすような事にはならないし、そういうトレードもしていません。

 

全力でやりつづけたらどこかでオケラになりますから、どんなに有利に見えてもせいぜい半力ぐらいでトレードをして、資金管理だけはちゃんとしております。

 

で、仕事をしないことで生活は不規則になりがちですが、そもそも不規則が悪いかどうか考えてみますと、やはり健康には悪い。

 

刑務所に入ると誰でも健康体になるそうですが、社会人もある意味そうだなぁと思うのです。

朝おきてメシ食ってやりたくなくてもともかく起床してなにかする。

そして夜にメシ食って眠る。

少なくとも働いてるとこれらを強制されることで、ある程度体調が維持できるとでも言いましょうか。

その証拠にあんなにキツかったトラックドライバー時代から見ますと、体重で10キロダウン、筋力は半減。

もはや自分のバイク起こせるかどうかすら怪しい。

やはり生活のクオリティはどうかとか別にして、健康体で居るという意味においては社会に所属していたほうが良いのは間違い無さそうです。

 

私はいま好きな時に寝て好きに起きて、起きている時間に上下の値動きを取り、寝てる間に起きたことは残念賞という考え方でおります。

アラートこそ掛けて寝ますが、寝ている時間にでかいポジションを持っている事は数ヶ月ありません。

 

相当ストレスが無い状況で生きられているのに、相変わらず強いストレスを感じます。

感じるストレスの重さは会社員と兼業で居た時代のそれとはまるで違いますが、そのストレスが口座残高から来る事と将来に対する不安から来ることは間違いありません。

 

トレードは上手くやることが続けていけるということは自信がありますが、自分の判断が間違う事は多々あるわけで、その不運が数年続いて地獄のような生活になるかもしらんなぁという恐怖が常にあります。

 

 

もしも口座残高が3億ならたぶん楽しめるでしょうが、今年負けたら来年働くようなレベルでトレードしてる私は、毎日が最前線で生きるか死ぬかの状況に近い。

 

これはどこまで行くとこれらのマインドから離陸出来るのかはわかりませんが、やはり私が考えるのは10年分の生活費を別で取り置いておけるぐらいになれば、おそらく金銭的不安からは逃れることが出来ると考えております。

 

 

基本的な考え方として、株にせよ為替にせよ仮想通貨にせよ全てにおいて、いまそのプライスである合理的理由などは存在せず、この後上がるからlong、下がるからショートを時間軸ごとに切り替える事こそが肝要で、自分のポジションが有利なのか不利なのか、ノーポジで居るべきなのかどうかは何千回トレードしても正解がわかりません。

結局はたぶん正解と思われるポジションを取り、不正解ならば不正解なりの対応をすること以外には出来ることはありません。

 

そもそも正解を求めることが間違いなので、75点ぐらいをキープすることを心がけますが、それとてこれが数年後や10年後にもキープできているかどうかはわかりません。

 

会社員の最大メリットは、給料日にほぼ必ず給料が入る事です。

それらのメリットを受けない代わりに私は好きに眠り、好きに生きている訳ですが、その対価として日々終わることのない不安や損失の恐怖と対峙する事を受け入れているわけです。

 

そのように考えていきますと、トレードで生活し続けることというのは相当に精神的プレッシャーが強いあまり幸せでない状況じゃないのかしらと考える事もよくあります。

 

逆にトレードがうまくいったらバカみたいに嬉しいわけでもなく、そもそも上手く行かなきゃ死んじゃうわけですから、上手く行って当然というか、上手く行くだろうがゆえにやってるわけで、一日が終わりと決めた場面でその日なんとなくまとまっていればミス無く仕事ができた良い日だし、そうでなければ毎日きっと明日はもっと損するだろうという気持ちで終わります。

 

プラスの気持ちで終わることはなく、マイナスの気持ちないし、やれやれ感とともに終わる程度であって、儲かったから大喜びなんてことは本当に去年でも2回ぐらいしかないぐらい稀です。

 

仕事である場合にうまくやるのが当然で、それはいちいち喜ぶような事でもなく当然そうでなきゃいかんと思うのです。

他に所得の入りどころがある人は別として、私はここから稼がなきゃ来月困るという後ろはガケの状況で日々を過ごしておるわけで、負けるという事はイコール死に近づくという感覚は常時あります。

 

そうしますと、自己肯定感みたいなモノは減ることはあれど増えることは皆無です。

日々の成績を嫁さんに話しても仕方ないですからほぼ誰にもそんな話はしませんし、しても仕方がない事です。

 

お正月で家族が集まり、だいたいの人たちは相場と無関係に生きており、自分の来年に対しての不安はさほど持っていません。

あるとしてもせいぜい病気とか、家族の健康やら子供の成長というそういうレベルの不安というか心配事程度で、来年生きていられるだろうかという心配をしてるのは私ぐらいです。

 

その時ふと、あぁ専業投資みたいな仕事は幸せになりづらく、不幸せとすごく近いなぁと感じたのですが、25才のときに考えた幸せの形と、今の私が考える幸せの形が大きく変わったのだなぁと思うのですが、されとて40すぎに人生の向きを変えていくのもなかなか面倒です。

 

子供の成長を考えますと、少なくともあと15年ぐらいはなにかしてなきゃいけないのですが、なにか商売してもいいし、働いてもいいし、なんだかトレードだけをしていても良いが、あまりにも正月会った人に痩せたねーと言われ続けて、なんだか自分の現状は決して理想的な形じゃないのではないかしらと考え出した頃合いです。

 

そこで原点である専業トレーダーとしての幸福とは何かを考えてみますと、やはり圧倒的に勝利する以外にトレーダーなんて仕事は良いことなど一つもないなぁと思うし、やるなら圧倒的勝利を目指さないなら専業トレーダーなんてのは面白くないんだなぁと思います。

 

圧倒的勝利は人によりけりでしょうが、私が思うに少なくとも残りの人生を普通に暮らしても時間切れまで保てる金額を積み上げるが、1つ目の勝利と言えるのではないでしょうか。

 

少なくとも残り平均寿命×300万ぐらいを税引で残せば、やりたくない仕事全部断ってコンビニでバイトしてても死にゃしないし、極度のインフレにならない限りは逃げ切れるでしょう。

私は43ですので、あと30年生きるとして9000万。

これぐらいで年利2%の債権で回して外国通貨でヘッジしておけば、少なくとも安穏としていられそうです。

逆にこれぐらいは行かないと、トレーダーやったことそのものが無駄な感じがします。

1000万円では人生は何も動かないし、それは3000万ぐらいでも動きません。

 

やはり最低でも税引1億ぐらいまで行かないと、その次の安定した年間利回りを目指す投資リターンからの収益のみで生活するような水準には遠く及ばないし、日々を胃薬とストレスで過ごす不健康な人生からは逃れられそうにありません。

 

日本においての年金制度は破綻させずに需給開始を75才などにして対応し、今の老人が死んでから少しづつまともな制度に戻す以外にはやりようがないように感じます。

少なくとも破綻はしませんが、破綻させずに需給開始を75才にするのはインチキですがやむを得ません。

ルールは作る側の都合によって作られ、それを変えるのも作る側の都合によってのみ変えられます。

それを受ける側の都合が良いようにルールが変更されることなどは資本主義社会においては存在しないと言っていいかもしれません。

 

需給開始を75にして、定年退職制度をやめさせて実労働を75才ぐらいまで引き上げていくような法整備をしてゆくのがこれからの日本が行うロードマップになるように考えます。

 

同時に社会保険費用の増大を増税でギリギリ死なない程度にまで上げていく(消費税は23%程度までは上がると思う)事でなんとか先進国としての体裁を保てるかどうかが、我々40台現役世代にこれから待っているいわゆる老後です。

 

我々世代の老後が明るくなる可能性は本当に真面目にどれだけ考えても限りなくゼロに近い事は間違いありません。

増税はともかく限界ギリギリまで来る事は既に既定路線としてしっかりと存在し、生産人口からの搾取と企業への優遇は無限ループにするほかない。

 

企業を殺すか個人を殺すか、国家が死ぬか。

この3つで一番殺しやすいのは残念ながら個人であり、この状況を個人にプラスになるような変化を起こすことは現状では不可能です。

これは日本が直接戦力を出す他ない痛みを伴う戦争か、国家存亡規模の南海トラフ等の天災が起きない限りは変わらないでしょう。

南海トラフにおいては日本では起きる前提で考えられておるので、ただの国難になりリセットにはならない可能性のほうが高そうです。

 

これらのリセットチャンスでもない限りにおいて、日本国に住まう個人は国家と企業の存続のために搾取されつづけ、私達が死に、うちの娘が結婚し、その子供が生産人口になるぐらいでようやく何らかの解答が出てくるのではないでしょうか。

 

国家規模の天災をリセットチャンスとは何事ぞとのご意見もあるでしょうが、日本の経済疲弊と歪みはそのような国債チャラに出来るかもチャンスでも起こらない限りにおいては、支配階級の人間の交代も起きず、世代間の格差はますます広がり、老人から現役世代へのあらゆる搾取は終わる切っ掛けがないし、経済合理性からみて終わらせる筈がないですから終わりません。

 

誰も死にたくないし、自分のタイミングでババをひかされるのはゴメンだと考えますから、自然にしにゆくまで放置するほかないし、多数決の論理でも老人が勝ち続けるターンはまだ数十年続きます

 

それまでの間、賃金は上げずに誰もやらないなら年寄りに働かせるしかないのは当然で、年寄りのカウントは寿命が伸びた今、少なくとも60才ではありませんし、65才から年金で適当にニート出来る時代は既に終わりだと考えます。

年金破綻は誰がケツを持つかを考えるとそれは国家破綻と同義になっちゃうから絶対しないと思います。

 

そう考えますと、私であと30年ぐらいは最低でも見ないとだめですから、最安値で9000万。

税込み1.3億円ぐらいは稼がないと全然ダメな訳です。

これとて年間300万という下限レベルの生活水準で、全くもって夢のある人生ではありません。

 

世界経済が全くダメで運用利回りがゼロ%だとしても良いとしたならば、最低でもこの倍で2.5億円ぐらい。

これですらも年間600万の消費を40年続けて無くなるレベルであり、年間600万では別にそれほど夢のある生活はできません。

 

しかし、米国債で運用したとしても2%は手取りで利益は取れるわけで、2.5億なら500万使っても減らないぐらいの生活はできそうです。

このように見ていきますと、仮にトレードで2.5億円の利益を出したとするとそれは相当にすごいことですが、人生の長さぶんに伸ばしてしまうと、年間に使える金額などごくわずかであり、億プレーヤーがさほどドリーム感のある生活が出来るわけじゃない事が解ってしまい、なんだかがっかりしてしまいます。

 

投資で増やした人は減らさない前提で物事を考えますが、昨年度末の株式暴落では沢山の億プレーヤーがケツ毛まで抜かれて引退したようですし、リスクのとり方が間違っていたとは言え、安穏と暮らせるトレーダーなんてのは日々の値動きをシカトして配当利回りと日足以下のチャートは見ないようなスパンでやってる人でしょう。

 

二桁億円まで届いてしまえばさすがにドリーム感のある生活をしつつも、適当なタイミングで外国に逃げちゃうというシナリオも書けますから、俄然夢が広がりますし、人生はだいたいの事思い通りに描けそうですが、ここは無理なので考える事すらありません。

人間には与えられた時間と才能のようなモノがあるのだとしたら、私は間違いなく二桁億円プレイヤーになる器ではありません。

 

数億円のトレーダーにすらなったことがないのでわかりませんが、増やす速度を早めるにはリスクを取る以外に方法がありません。

1000万を1億円にする事は1年で出来るかもしれないが、それだとゼロになるリスクを背負うほかありません。

 

以前株をやってたときはザラ場に張り付けるけどもそうでない時間には外で働いていましたし、それが精神的安定と体力の維持に役立った事は間違いない事実です。

そんなふうに考えますと、特に24h出来るビットコインの場合いつでも良いわけですから、別に24hみてても良いわけだけども、現実的にそんなに長くトレードしてたら体壊すのは間違いありません。

 

そもそも幸せな状況を長く続けることが私が思う幸せのテーマですので、そういう10年20年の健康とか、広い意味で考えていきますと、私レベルですと兼業でなにか仕事してたほうが幸せなのかもしれないなとそんなふうに考えております。

 

 

何もしなくても良い状態で今を過ごしている訳ではない圧倒的ノルマが存在する日々ですから、私はこんな思考になりがちですが、これが逃げ切りゾーンより先までいってしまうと、きっと専業トレーダーてのは楽しいんだろうなと思います。

 

そういう意味で、逃げ切るとはトレードを離れてもうやらなくて良い状態になることを目指しているわけで、そうだとするとやっぱりトレーダーなんてのは仕事として面白いモノではないのだなと思うほかないのです。

しかしコレ以外に気合い入れる価値があると考えられる仕事がないというのもまた間違いない事実。

難しい問題ですが、ことしもボチボチ頑張っていきたいものです。