以前、宝塚歌劇を観なくなった理由を書きました。

それは、タカラジェンヌのお姉様方を身近に感じ、親しくやりとりさせていただいて、闇を知りすぎたこと。また就職して忙しくなったこと…だと。


でも、それだけではなかったな〜と、ふと思い出したので、記録として。


私にはバレエダンサー、声楽歌手、日本舞踊のプロになった高校、大学時代の友人が何人かいます(全員女性ですが…(笑))。


私が、宝塚歌劇のチケットをしばしばいただいていた事は前にも書きまさしたが、20,代になって、あの宝塚大劇場に男が一人で行くのは、ちょっと恥ずかしくなり、母と行くのもマザコンに見えるのも嫌だしで、上記の友人を誘って観に行きました。


彼女たちは、やはりその道で幼少期から鍛錬、修練をしてきた人間なので(いまや、役付ダンサー、師範になってます(笑))、観劇中に指摘が始まるんです(笑)。

「型がなってない」「軸がぶれている」「所作が雑」「声が裏声」「お腹から声が出ていない」「お願いだからバレエ的な動き、ダンスしないで〜」「日舞を汚さないで〜」とまぁ、さんざんな指摘なんですよ(笑)。


友人たちに誘われて、逆にバレエ、オペラ、日舞を観に行くようになると、たしかに宝塚のダンス、歌、日舞などは素人目にも「う〜ん…」となったんてす。


結局、やはり「お嬢さん芸」「習い事の延長」と揶揄されるのは、そうか〜と感じましたし。

エンターテイメントとして、見世物としてはありだけど、芸術ではないんだよな〜と思うようになっていきましたよ(笑)。


いま思えば、逸翁が「赤字でも構わない」「お荷物でもかわまない」としていたのは…宝塚に芸術性や収益性、エンタメ性を求めていなかったのが、よくわかります。


世の中の華やかなことが好きなお嬢さんを預かって、礼儀作法を躾て、良妻賢母として世に送り出す。

そんな感じだったんだろうな〜と思うのです。

まぁ、いまの時代には合わないかもしれませんが…


だから「阪急のお荷物」と揶揄されてもテコ入れしなかった。


だから、所詮はお嬢様エンタメなんです(笑)。

ただ、声楽家の中にはタカラジェンヌになれなかったから未練がましくSNSで発信する人もいますが…なれなくて正解かもと思いますがね。


あと、たかだか宝塚でバレエをしてきた、歌のレッスンをしてきただけで、宝塚受験スクールを開いているOGも、バレエや歌の一流のプロではないんだよな…と思いますがね。


宝塚を退団してからの人生のほうが長いのに、阿呆な夢をみながら生きている、40代、50代、60代のタカラジェンヌOGをSNSに見ると憐れだなと感じます。


逸翁が育てたかったタカラジェンヌって、そんなたわけた、うつけ者を育てたいわけではなかったろうに…と思いながら、私が、宝塚を観なくたったもう一つの理由を思い出しました。