養母に連れられていった新興宗教。
幼い時から、教祖に気に入られていた私。
物心ついたときから、感が鋭く、大人の気持ちを忖度して、大人が喜ぶように振る舞う癖がついてしまった。
一方で、大人は汚い、穢れていると感じていて、いつも怒りと憎しみ、哀しみのなかで彷徨っていたきがする
身体が丈夫でないため、ふつうの男児のように外で遊ぶことは少なく。いつも読書か家の庭自家所有していた田畑で土遊びくらいだったかな~。
小学校4年生くらいから、ようやく宝塚歌劇ってのになんとなく興味を持っていた。もちろん小学校に上がったときから観劇はしていたが、どちらかというと、観劇後のファミリーランドが楽しみだった。
そうした時間が私には一番忖度しなくて良い時間だった。
養母には、私が勉強でどれだけ頑張っても褒められないし、前回より悪ければ竹定規でたたかれ、自分の気持ちを伝えれば反抗しているとたたかれ、はては目の前にいると云われて養父に殴られる(苦笑)。
そして『あんたは捨て子。あんたがいなければ私はK子を連れて家でしている』と罵倒されていた。
確かに養父は酒乱で酒を飲んでは家族に暴力をはたらいていたな(笑)。
そんな中でも新興宗教には連れていかれた。病が治るといわれていたから。
そこでは儒教と仏教とキリスト教、神道のいいとこ取りした、適当な教え述べていた。
いま思えば、かなり眉唾物なんだが、こと病に関しては症状が回復するから、質がわるい。
さぁ、 依存してしまう。
儒教的な教えたから夫唱婦随やキリスト教的に夫は家長として責任を果たせと説くのだが、これまた信者は夫婦お互いに、お互いの役割を果たせとばかりに責めあうばかりで、なんら進歩も向上もしない。
私はそれを見て、ますます大人は醜いな…と思うようになり、気持ちがすさんでいった。
ただ、その宗教は、宗教から離れるとご利益はなくなり、病は再発する、不幸に襲われると脅していた。
いま考えれば、不幸なら養父母に預けられたときから不幸だし、いまさら何を…ってな感じなんだが(苦笑)。
病状は沈静化していたから、宗教から離脱する勇気がなかった。
だから、宗教の教えに疑問や不審を感じながら、やり過ごしてたが、宗教をしていても幸せにはならない、寧ろ虐待は増している感じしかなかった。
私の慰めは宝塚観劇と読書だった。
大学受験では、日々のメンタルの不安定から実力がだせずに、スベり止まらず全滅し、浪人しても関西大学にしかいけず、そこで改めて宗教のご利益はないんだと実感した。
だって、英語、国語で記述もマークの大手予備校の全国模試で偏差値70越えを出してそれですから。
もはや心理的なプレッシャーだけだなと、
いまなら分かります(苦笑)。
そして、関西大学ではall優だったけど、どうしても学歴コンプ炸裂して、再受験して神戸大学にいくことになった。
そのあと、日になり影になり私を見守ってくれていた大伯父が神戸大学の入学前に大往生した。
葬儀の場で、跡取りのオジサンが一門の前で『ロバート、ちょっと前にきてくれ。あのな~みんな。な亡くなった親父殿の遺言で、次の惣領は、ワシではなくて、このロバートになった。みんな、一門30家は、この子を惣領として結束する』と宣言していた。
私は驚いた。私は宗家からみたら、分家の分家の子だと思っていたから。
そこで、私は改めて気づいたんです。あ~。大伯父は実は父だったと。
で、宗教を利用して養父母の元を去り、神戸でひとり暮らしを始めたんです。。
苦しくて辛くて、悲しい20年あまりだった。
悪魔に魂を売ってでも手に入れたかった自由。
宗教は、養父母から私を解放したが、宗教が私を縛りだしたのです。
それは、私が古い家系の惣領であること、それを宣伝材料に私を利用していったのです。
そう新興宗教は、人間の欲を利用して、人間の弱みを利用して、信者を食い物にすりいかがわしい連中です。
その後遺症、トラウマは宗教から離脱して25年経ってもまだ残っているんです。