宙組の公演再開に、『まだ早い』『禊はまだまだ』という意見、『ご遺族と合意したから再開はあり』と、まぁ大きくは二つに分かれている。

たしかに世間的には前者が大多数なんだろうが、ヅカヲタは後者なんだよな~。

生徒の立場からみたら『早く舞台に立ちたい』だろうし、阪急電鉄からみたら『休演コストは痛い』だろう。

そうしたモヤモヤは、パワハラをしたとされる10人を懲戒処分にしていないことに原因があるんだよな。

たしかに阪急電鉄、宝塚歌劇団の組織としての責任は認めたし、パワハラ、いじめがあったのも認めたが、実行者に対する処分が明示されていないから、世間とのギャップが生じる。

世の中的にはパワハラ認定されると何らかの懲戒処分になるんだが、宝塚歌劇団の場合、懲戒処分をすると、舞台に立てない連中がでるだろうから、懲戒処分で『謹慎』『出演停止』などの!になると、誰がパワハラの実行者だったのか?がさらされることになる。
名前を伏せて懲戒処分しても配役を見たら判明してしまう。
だから、あんな責任論で終わらせてしまったんだろうな。

ある意味で、芹、松、アイロン、菱たちも過去におけるパワハラ被害者なんだろうが、やはり下級生、すなわちふつうの会社なら部下、後輩を死に追いやった責任は重い。

もっともすでに週刊誌で名指しで滅多刺しにあっているから社会的制裁は受けているんだが。

ただ、やはり非常識な感じは否めないな。
長年、パワハラを受けてきた私の経験では、パワハラ行為者は異動させることが多く、また減給、謹慎、出社停止なども多々ありましたよ。

そうした信賞必罰がないために世の中の賛意を得られないのだな。

擁護派は、単に再開してほしい、彼女たちは悪くない、週刊誌の陰謀、ねつ造と言っているようだが、事業者である阪急電鉄、宝塚歌劇団がパワハラを認めた限りは、ねつ造や陰謀は成立しないし、行為者はいない❗️的な理屈は成り立たないのも事実なわけで。

事実を直視できないことに世間から非難されることも理解する必要がある。

トータルで見た場合、阪急電鉄、宝塚歌劇団の責任は組織にあるが、行為者個人にはない❗️とする姿勢は世間からズレているとしかいいようがなく、悪しき前例を作った気がしてならないです。



もっとも、もはや観劇するほどの魅力を20年前に捨てた私にしたら、終焉のときを見てみたいと思うばかりです。


敢えていうなら、信賞必罰をタカラジェンヌにも知らしめる必要はあるだろう。

それは阪急電鉄経営者にも言えることである、


結局、いまだに昭和時代の意識が蔓延している組織と人災(人材でもなく、人財でもなく)だけの会社なんだろうな。

良識のある人がバカを見るんだと思うと情けないですな。