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ありがたいと云うべきか、はたまた野次馬的な方が多いのか?
私は、小学生から30歳までの20年あまりの期間に宝塚大劇場に通い、また少なからず宝塚OGの方に知遇を得てきた者なので、いじめ、パワハラによる宝塚歌劇団生徒の自死は、捨て置けないので、報道を見た感想、実際に知っているOGたちへの印象を書いてきました。
30歳を過ぎてから仕事やなんやで、全く観る機会も、観る気持ちもなくなってまして、ただ綺麗な記憶の奥底に眠っていた、ほの暗い闇、シミを思いだしました。
宝塚は『清く正しく美しく』のスローガンは、阪急電鉄、宝塚歌劇団、生徒三者三様の我欲と二人連れになって、『悪しき慣習』になっていたと思います。
むかしからいじめじみた罵詈雑言はあったはずですし、そんな話しもお姉さまがたから聞いてます。
どこの世界にもいじめじみたことはあり、また私自身がパワハラを受けてきた被害者であるので、世の中の理不尽さは身に染みています。
ただ、大の大人がいじめる構図は人間性の未熟さを示しており、ひとえに家庭教育の悪さ、学校教育の低下によるものだと思います。
一方で、宝塚歌劇団問題は、実は企業不祥事でもあるんです。
なので、阪急電鉄、宝塚歌劇団は企業として、初動を間違っていて、最後は全面的に認めたという無様さが残りました。
そして、加害者、実行者が判明しながら、彼等の責任、処分に言及しなかったのは、劇団員が業務委託者であって、使用人ではないという、企業の理屈なんだろうなと感じました。
つまり使用者責任は軽減されると。
15歳や18歳で、家庭から隔離され、世間から隔離された人間にモラル教育をしなければ、モラルハザードは当然です。
残念ながら人たちは、阪急電鉄、宝塚歌劇団に限ったことではありません。
社会インフラを担う企業、とりわけ電気(発電)、通信、鉄道運輸、、ガス・燃料の企業は、不祥事を起こしても、大衆は不買運動をするわけにはいかないので、経営者は高を括る傾向にあると推測します。
だって、代替企業がないのですから、胡座をかきますよ。
新聞各社が阪急電鉄の謝罪会見を批判していますが、なぜあんな態度なのかの根本的な考察がたりないなと感じました。