もう25年くらい前の話ですが、歳の離れた従妹(西日本の田舎出身)は、もともと旧帝を目指してダメで、地元の国立大に進学し、卒業したがどうしても旧帝に行きたくて大学院から西日本の某旧帝大学院に進学したが、学部卒上がりの院生仲間から、やはり外様扱いされていました。
なぜ知っているか?その旧帝の准教授は私の知人だったから(笑)。
私的にはそんなに旧帝の名前がほしいかな~と思いつつ、結局、院卒なだけで、研究分野とは関係ない就職してました。
で、従妹の旦那が、これまたジェネリック灘と揶揄される高校からやはり旧帝の理系学部卒の院の博士課程まで行き、15年も万年助手をしながら、塾や予備校の講師アルバイトをして、旧帝の教員になる夢を見続けていたそうです
国立大、なかんずく旧帝の教授になるには卓抜した才能がなくてはなれないし、教授になるかたは30代半ばには准教授くらいにはなっているので、たぶん才能がなかったんだな~と思います。
で、その学歴ロンダリングした従妹とジェネリック灘の
間に生まれた従甥は、なんとか旧帝の理系に入学しましたが、一年次から成績不振で、両親ともども呼び出され、しかも指導教授が、従妹の同級生という曰く付き。
まったくもって、残念ながら、背伸びして学校に進学すると、深海魚になるみほんだな~と感じた今日この頃です。