昭和以前の時代、躾、教育と暴力は一体だった。
軍、学校、家庭などあらゆるところで、暴力は当たり前だった。
私の家庭でもそうだった。
躾としてたしかに厳しかった。
箸の上げ下げ、襖、障子の明け閉め、挨拶、お辞儀、あらゆるところで厳しかったが、養父母のご機嫌次第で暴力が日常茶飯事だった。
そこに『おまえは捨て子』『おまえはもらわれ子』『おまえは病気ばかりする厄介者』と言葉で虐げられた。
果ては妹にまで『そんなに病気してるなら、長生きできないから、いまから墓石買ってやろな』などと墓石のチラシを突きつけられた。
まぁひどい家庭だった。
そんな中で、勉強は頑張った。小中高といつも成績上位だった。
でも、浪人した。試験日に実力が出せずに、浪人を繰り返した。
養父母の私への高学歴要求が激しかったから、浪人費用はなんとか出してくれたが、嫌がらせは最高潮だった。
致し方なく関西大学に進学したが、やりきりれなくて、学歴コンプレックスがいやで神戸大学を再受験して進学した、
そこで初めて躾、教育と云う名の暴力、暴言から解放された。
だが、それまでに受けた暴力と暴言は私の心に深い傷と闇と恨みを刻みつけていた。
だから、私はそうしたことはしない、と心に誓った。
だから、宝塚歌劇団、宝塚音楽学校で繰り返されている『指導』と云う名の暴力、暴言を許せないのです。

ふつい、嫌なことをされたら、自分はしないでいようと思わないのかな?

悪いことしたら謝る、幼稚園で習わなかったのかな?
家庭で教えられなかったのかな?

だいたい宝塚から芸能界へなんて姑息で食い詰め者みたいな卑しい性根なのかな?

躾、教育、指導にかこつけた暴力は絶対に許せない