Nice to meet you!!

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二年後に某T高校英語科教員

Amebaでブログを始めよう!
社会見学Day2

今日は自由が丘までお散歩。
新しく買ったノースフェイスのリュックが最高すぎて、心が弾む。
五冊本を入れても、マックブックを入れても、スリムな見た目のままで、しかも肩が疲れない。
最高としか言いようがない。

自由が丘は本当に好きな街で、歩くたびわくわくする。
可愛いカバンを見つけて、欲しくなっちゃったけれど我慢。
そう、私は斎藤幸平さんのファンになってしまったから。

斎藤幸平さんの著書・人新世の「資本論」は私の気候変動への思いをaccerateした。
コンタクトレンズを極力やめてメガネ生活を始めた。
アボカドやチョコレートの摂取機会を減らした。
今まで以上に環境への関心が高まっている。

自由が丘でまずは本を売った。
斎藤幸平さんの本や英検のライティング本をお迎えするための準備だ。

【画像】

そのあとはスタバへ。
自由が丘は3店舗あるんだけれど、駅近の店の方が圧倒的に空いていた。この時間は(この時間も?)長時間利用者が多い気がするなぁ。
熱心に勉強してる人が何人もいて、モチベーション高く勉強できた。

一時間半も座ってると疲れちゃうので再びお散歩。
フランフランも新作入荷多数で、誘惑された。

それでも予定まで時間があったから気になっていたビーガンレストランのカフェタイムへ。
アールグレイと豆乳って意外と合う。
そして生クリームも上質なものでガトーショコラが引き立っていた。

そしてネイル⇨F氏とあってきた。
八木仁平さんの「やりたいことの見つけ方」を丁寧に話してくれた。
私ほど、やりたいことが明確な人ってなかなかいないよね。あとはそれに一番合う職場を見つけるだけ。
父親と同様、中学の先生を勧められた。
帰り道、早速仕事先を調べ始めました。


社会見学Day1

二子玉川までお散歩。
ゴミ拾いランニングを計画していたのだけど、開始10分余りで持っていた紙袋がマンパンになり断念。

拾ったゴミを捨てられる場所を探しつつ、どれぐらいの量のゴミが落ちてるか調査しつつ、川沿いをお散歩。

意外とゴミは少ない。
ポイ捨てが少ない地域なのかな?
それとも誰かが拾ってるのだろうか?

実は日曜日にも同じ経路で二子玉川まで歩いたんだけれど、前回とは違う気づきがあった。
土日と平日では人出がぜんぜん違うこと。
影の角度が違うと日焼けしないこと。日曜も今日も、すごくいい天気で晴れていて気持ち良かったの。

こうやって休日は頑張ってブログ書こうかな。
今朝見たGariben TV(YouTube)に影響を受けました。笑
人は習慣で出来ている。習慣は行動することでできる。日々の行動が積み重なってできる…って感じの内容。
【モチベーション英語】の再生リストに分類されている動画はやはりやる気を引き出してくれる^_^
生徒に紹介しなきゃな。
以下、作文の練習。いつ書いたかわからない過去記事。

現在は情報社会である。
情報が氾濫しているこの時代で、大切なことは以下の5つだ。



現在、私たちはスマートフォンなしで生きられない。
なんでも調べられるからだ。
明日の天気、気温、地図、電車の時刻や乗り換え案内など日々の生活に関わるものから、わからない単語やニュースまでスマートフォンで検索できる。

自分の興味のあることも簡単に情報収集できるスマートフォン。
今やAIが勝手に情報収集してくれるが、それも少し恐ろしく思ってしまう。

ここ2年ほどApple Musicを愛用している。
Apple Musicはサブスク(subscription)で、一定の料金を払えば音楽が聴き放題である。
私は吹奏楽はもちろん、クラシックや洋楽、ポップスなどの曲を毎日聴いているが、その聴いてる曲をAIが分析して、自動でフェイバリットリストを作ってくれたり、新しいオススメの曲やアーティストを提案してくれる。
それがなかなかいい提案をしてくれるから、自分で調べる必要もなくなってきた。
こうして、どんどん人間がやること(仕事)を失っていくと思うと、怖いなぁ。

余談:アーティストという言葉も今では日本語に馴染んでいる。
なんだか違和感を覚えた。直訳すると芸術家。音楽のことを多面的に芸術だと捉えているからだろうか...

私は恋人に振られたとき、その人が死んだと思い込む。
先日、彼氏が死んだ。

彼はよくおならをする人だった。
付き合っていた時、「おならは我慢するとよくない。私たちも不満は溜めずに言い合えるといいね」などと書かれたポエムを私に送りつけていた。嘘八百である。
まぁ、死んでしまったからどうしようもない。

私は彼のことが心底好きであった。しかし、彼はそうではなかったのだ。
しつこく連絡をしても、家や職場に押しかけても、彼が私に振り向くことはもう二度とない。
こんなに悲しいことがあるのだろうか。
死んだ人をよみがえらせることはできない。
どうしようも無い振られ方はそれと同じだ。
ならば、彼は死んだと考える方が幾分か心は楽になるだろう。
気づけば教員になって二年半が過ぎ、本校での契約期間が迫ってきている。
この半年間も、あっという間だろう。
私は彼らに何か遺せるだろうか。

またブログを書こうと思ったきっかけは、翻訳家を志望する人との出会いだった。

英語にしても、日本語にしても、言葉を大切にしようと思った。
私はどうやら作文が苦手なようだ。
ふつふつと湧いてくる自分の思いを、きちんとした言葉で表現できない。
以前からこのことには気が付いていた。
でも、向き合おうとしてこなかった。

私は、言葉と正面から向き合うことを決めた。