★5通目

叔父1様
平成元年以来、貴方とまともに話し合った事はありません。半年過ぎ、いろいろ考えた結果、手紙を書く事にしました。
娘(義妹)は、今朝(六時十分)タクシーで戻りました。二四歳とはいえ、やはり男親のいない我が家では、私が寝ないで待っています。心配を通り越して、死ねばいいとまで思う様になりました。
私の心が、日に日に貧しく惨めになってゆくのがよく解ります。

先日も伯母2が来阪して、帰る前日に大きな宅急便の箱を二つ作り、テープで蓋をした物を見た時、私は姉に怒鳴りつけました。
どうして私に見せずに封をしたかーと。
もう一つ、茶の人が、母の時の慣習で、茶室の押入れを勝手に開ける事、許せません。
まだ、口に出しませんが、いづれ稽古の人達に苦言を提するつもりです。
この原因は、何でしょうか。
ご理解頂けませんか。

母が足が立たなくなった去年の十月、貴方夫婦と口論をしました。それ以来です。
もう10ヶ月近くなりますが、その間なんと色々な出来事がありました。
しかし、ますますエスカレートするばかりで、歩み寄りはありません。又、その努力をする方向にも向かっていません。
故に、結論ですが、やはり、父母は、長男夫婦が同居の形で世話をして、次男夫婦に助けて貰って下さるのが最上だと思います。
家政婦を使うのも結構です。
親に対する情もあり、孝行という言葉に惑わされてきましたが、これから十年続くかもしれない長期戦を、今のような腰掛け看護で続ける事は無理と思います。
私はというより、〇〇(義母苗字)は、二十年余は祖父母の世話をしてきたつもりです。裏庭の二四坪に家を建てたのも、父の六六歳の大役逃れと麻雀の相手不足で、わざわざ毎週来るのも大変と両親が思い夫(義父)に生前贈与で与えたものと思っています。決して、私はこの土地に帰ってきたくて帰ったのではありません。
まして、ゆくゆくは親の面倒をみる為なんて
約束は致していません。

夫(義父)が死に、四十九日が終わった時、貴方は、「姉さん、これからは親のこと心配せずに思いのまま生きて下さい。」と、あの席で貴方が言ってくれました。その時私は、夫が死ぬまで祖父母に使えた事、無駄ではなかったと思いました。
その時の言葉通り、両親は貴方達にお渡しします。どうぞ、これから先宜しくお願い致します。次に、私の生活状況は、今までと変わりません。
お茶の稽古も続けますし、私に暇のある時は、親の顔を見たければゆきます。
とにかく、二人の姉たちと同じ立場で親に接したく思います。

稽古をやめさせるとか、祖父母宅への出入り差し止めとかの暴言は決して認めません。
よろしくご承知下さい。
途中で、祖父母の朝食に行きましたので、又続きます。
朝十時半、伯母2と電話で話をしました。
結局、結論は同じです。
長男夫婦と平行線を辿る以上は、決して協力して親の死に水をとることは出来ません。
とても辛い事ですが、私が身を引く事にします。
ご夫婦とても仲良いと聞き及びますので、どうぞどうぞ父のおかげを忘れずに、しっかりと両親を頼みます。
七月十五日(土)私の当番ですが、不在ですので、七月十日をきりに、手を引かせて頂きます。
以上、長い事お邪魔しました。
どうぞ気分明るく生きて下さい。
平成元年七月十日午前


便箋4枚、七月十三日付けで送った手紙ですが、叔父1より突き返されております。
封筒宛名には、義母名行(様ではなく、行)、裏には日付平成元年九月一日のみ。 
走り書きで、怒りをあらわにした封筒でした。


どうやら、2〜4通目の手紙は、渡していなかった様です。


注)伯母2とは、「義母に着物を貸してる。他の着物も欲しいから売らないで。婿にトラックで取りに行かせるから。」と言った人です。


★そして、義実家の土地、贈与されていたんですね。義母からは、「毎月父に返済してた。」と聞いていたのですが、建物代を借りたのでしょうか。その明細が見つかりません。家計簿は、しっかり記帳していたはずなんですが…。


不動産の購入費用がわからない場合、売却価格の5%が取得費用となります。3,000万円で売却したなら、150万円の取得費用です。但し、ある程度合理的に購入金額を説明出来るのであれば、推計により購入金額を算出して確定申告をすることも、認められてるようです。