母の元に行くと、本日よりレンタルしたので、新しい肌着とパジャマに着替えをするところだった。
看護師さんは2人いたのだが、1人は着替えを持って来ただけで、部屋から出てしまった。
ベッドで仰向けに寝ている母を真ん中に、
ベッドの向こう側に看護師
ベッドの手前に私がいた。
看護師さんが、母の着ているトレーナーの左腕を曲げて、袖から腕を抜こうとした。
すると、母が、
痛い痛いー!
と、怒りだした。
そんなに乱暴に腕を抜こうとしたわけではないのに、血相を変えて怒ってる。
これは、手伝わないとあかんかな。
と思い、一緒に脱がしにかかったが、やはり、
痛い❗️痛い‼️
と言う。
お母さん、骨折したのは、足やろ?
腕は、痛くないやろ?
と声をかけると、看護師さんの方を睨みながら、左手の指の辺りを右手で指して、払うように
こうやった‼️
と訴えた。
そんなん痛ないわ!
少しは我慢して!
こっちは、なるべく足に負担がかからない様に脱がしているのに、触れられただけでも痛いという勢いだ。
左腕が抜けたので、私が首下に手を回し上半身を少し持ち上げている間に、背中側のトレーナーを
右側に移動。
片腕で、母の首から少し持ち上げているだけで、重かった。
看護って、大変だ。
体力勝負だ。
まだしつこく痛いと連発する母のところに、もう1人の看護師さんが戻って来た。
この看護師さんの方が、ベテランそうだった。
母の悲鳴を聞いていられなくて、私は部屋を出た。すると、後から戻ってきた看護師さんが、
「まだ、提出書類があるので、待っていて下さいねー!」
と叫ばれていた。
廊下に出ていたら、
痛い!痛い!
痛いよ〜!
痛いって言ってるでしょ‼️
痛い痛い痛〜い‼️
もう、聞いていられない。
私は、更に離れた待合室に逃げた。
痛みに弱い母だが、余りにも酷い。
私は、母を可哀想…。😭
と、どうしても思えなかった。
私は、冷たい娘だ。
だけど、それは、物心ついた頃から、母の愛情を感じた事がなかったからだろう。
母は、鬼の形相で怒った事はあるけれど、私を抱きしめた事はない。
母の愛情は、全て妹に向けられていたと感じていた。
お姉ちゃんだから。
と言われ、何でも我慢させられた。
喧嘩しても、理由も聞かずこの言葉を言われた。
小学1年生の時、父に叱られ、いつもの手が出て、肩を痛めた。翌日になっても、痛くて仕方がない。
母にそれを言うと、病院に連れて行ってくれた。
肩は、脱臼していた。
そんな時も、母から優しい言葉はなかった。
父に対しても、何も言わなかった。
母が働くようになってからは、
母は、洗濯。
私は、朝食後の片付け。
妹は、1階の掃除。
と分担していた。
感謝しているのは、中学、高校とお弁当は作ってくれた事。
母としてやらなければいけない事は、してくれていたと思う。
あんたなんか、産まなければ良かった。
それは、私が高校生の時、仕事から帰った母が、洗濯物を取り入れていなかったのを理由に言われた。
今から思えば、働いていた母は疲れていたのだろうと思う。
でも、口から出た言葉は、私の心に大きな傷を作った。
母に対して、「痛いね。」と寄り添えず、可哀想と思えない私は、優しくない。
看護師さんは、母に罵倒されながら、たまに
「痛いよね。」
と声をかけながら、着替えさせてくれていた。
待合室に逃げて、少ししてから母の部屋に行ってみたが、今度は、下半身剥き出しで処置されているところだった。
カーテンが開いていた為、丸見えだ。
まだ、母は、「痛い痛い!」と連発していた。
私は、また待合室に逃げた。
それから、10分以上だっただろうか、看護師さんが書類を持って現れた。
入院診療計画書
看護計画状況提供用紙
だった。
署名して終了。
母と私の印鑑を持参していたが、
どの書類にも、印鑑は必要なかった。
こんな事は、初めてだった。
私は、その後、母の病室に行く事なく、家に帰った。
これ、とても気になっています。
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シートマスクの虜になって、毎日やっています。顔に5分つけて、シートにはタップリ残っているので、首や腕、足にも刷り込んでいます。
幸せな気分になるよ〜🎵
フェラーリの似合う女になってやる‼️