24日(水)13時〜
母と面会して来ました。
7日に行ってから、2週間以上開いてしまったわ。
母の居室のドアを開けると、ちょうどトイレ中で、中には、若い男性スタッフが1人入られました。
私は、廊下の椅子で待っていました。
すると、母の隣の隣の部屋から、スタッフさんに連れられて、車椅子の女性が出て来ました。
女性「寝るー!寝るー!」
スタッフ「午前中ずっと寝てたでしょう?」
「寝るー!寝るー!
あまり、寝とらんけん!」
スタッフさんは、車椅子の女性を談話室に連れて行こうとしていましたが、女性は拒否。
廊下で見ていて、思わず笑ってしまいました。
こんなお婆ちゃんもいるのね。
スタッフさんは、寝る寝るお婆さんがずっと叫ぶので、私の前でUターンして、居室に戻しました。
お疲れ様です。
この日は、マスク、防御服、キャップを被ったスタッフが廊下に沢山おられて、何事かと思い聞いてみたら、
「今日は、オーラルケアの日なんです。」
と言われました。
偶然、その様子を見学出来ました。
この特養は、まだ介護度が低い人が半分くらいいらっしゃる。談話室では、テレビを見て声に出して笑っている明るいお婆さんもいらっしゃいました。
なんか、安心です。
10分後、やっと母の部屋が開きました。
入ったら、強烈な便臭❗️
さっき来ていた服も上下着替えています。
これは、失敗したな。心の声
着替えまでして下さって、ありがとうございます。
私の顔を見ると、
母「あぁ〜。」
とは言いますが、誰かはわからない様子。
因みに、自分の兄弟は、
「わからん。全部忘れた。」
だそうです。
母は、4人兄弟の長女です。
叔父、叔母の名前を伝えてみても、全く反応しませんでした。
「じゃあ、子供は?」
「わからへん。全部忘れた。私、ボケたなぁ。。」
と悲しそう。
一瞬マスクを外して、顔を見せてみたけど、やっぱりわかりませんでした。😱
子供は2人いる事。
妹は亡くなったので、今は私1人な事。
父も亡くなった事を伝えました。
認知症は、昔の事は覚えていると言いますが、
妹が、白血病で亡くなった事を、母は覚えていませんでした。
それどころか、子供が2人いる事も忘れていたのです。
新たな記憶として、私が母の子供だと伝えました。
「娘じゃなかったら、こんなにしょっちゅう会いにけえへんやろ?」
と言ったら、
「そうやな。ありがとう😊」
と言います。
「会いたい人は、いる?」
と聞いてみました。
会えるなら、会わせてあげたい。
「会いたい人はいるけど、誰かはわからない。」
悲しいです。
働いていた仲間が、老健に面会に来てくれましたが、その方の名前を言うと、わかりました。
「名前は覚えてる。顔は忘れたけど、見たらわかると思う。」
と言いました。
夫の事が落ち着いたら、会わせてあげたいと思います。
カレンダーは、未だに見つからず、毛糸もなかったので、スタッフさんに聞いてみたら、毛糸と編み針は預かって管理して下さっているそうです。
スタッフ「長く編む事は出来ます。」
と言われていたので、きっと永遠と鎖編みをしていたのかもしれません。
母の車椅子の横に、鎖編みを輪っかにした物が挟まっていたので、手首に巻いてあげました。
毛糸のブレスレットです。😊
母に、
「私の旦那さん、今度手術するんよ。」
と言うと、
「どこが悪いの?」
と聞いてくれました。
「腎臓。手術に5時間かかるらしい。」
と告げると、ビックリし、悲しそうに
「大変やな。。」
と言ったのです。
「だから、私東京に行くねん。暫く来れないけど、大丈夫?」
「大丈夫やで。」
「痛いところない?ふらついたりしない?」
「ないよ。元気やで!」
「そっか。。それなら良かった。
お母さん、スタッフさんに何かして貰ったら、ちゃんとありがとうって言ってる?」
「うん。言ってるよ!」
「怒鳴って怒ったりしてへん?」
「そんなんせえへんよ〜。」
「そっか。。それなら、良かった。
可愛いお婆ちゃんでいてね。」
と言うと、にっこり笑って
「うん。😊」
と言いました。
あれから、血液検査をしたと言う報告はないけれど、食欲もあり、便も出て、母は元気です。