「天職ですよね。絶対にお願いしたいと思ってました。これからもずっと見守っていて欲しいです」。

今日言ってもらえた言葉。

ほんの数日前に似たような事を別の方から言ってもらった。

「天職だと思います。やめられたら困ります。ずっといてくださいね」。

長い人生の間に、いったい何度言ってもらえるだろうかというお褒めの言葉をここ数日の間に二回もいただいた。

自分では、向いていないと思い続けてきた仕事。
アウェー感が抜けないままでもう六年。

いま、本当にもうダメだと思う毎日。
この職場に僕はもう必要ではないと思う毎日。

逃げ出したいと思っているのがバレたのか?
あなた方から逃げ出したいわけではありません。

職場には煩わしい事がいっぱい。

でも、そうやん、職場の中より勝負はそこやん。

少し力でた。

少しやけど。
ありがとうございます。






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ペタというものがあるのは知ってました。
「みたよ」?「イイね」?
何かはよくわからないけれども。

でも、自分の日記にもつけてくださっている方がいてはったとは、気づきませんでした。

さっき初めて見ました。

今まで「ペタ」をつけてくれた方、すみませんでした。



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今日は1月17日。1995年以前から神戸、大阪あたりに関わっていた人ならきっと一生忘れない日だろう。

突然の激しい突き上げを受けて、ベッドから空中に飛び上がっている最中に目覚めた。

地震だと気づくまでにしばらく時間がかかった。

僕の部屋は二階。
階下に走り降りて、真っ暗な部屋で抱き合って震える母と妹を見た。

揺れはしたが、うちは大阪なので被害はなかった。

と思ったが、すぐ近くの堤防はこわれ、地面は液状化し、友人宅には泥が宅内まで入ってきていた。


その週末には労働組合からの要請で、水や食料を満載してバイクで三宮に行った。

横倒しになった阪神高速道路の横を走り、火花の散る街並みを抜けた。

映画の中でしかみたことがないような光景の中をたどり着いた三宮は、大きなビルが傾いていた。

当時三宮の病院で働いていた友人の看護師は、廊下にまでびっしりと患者さんが横たわっていたと言ってた。

あのしばらくの期間僕の目に入ったものは、多分ずっと忘れない。

地震の前日にたまたま訪れていた宝塚。無事を確認できるまで3日かかった。
まるで景色が変わっていた。

職場で手分けしてたくさんの障害者作業所の被害状況を調査し、避難所を訪れた。

仮設住宅に毎日送迎を繰り返した。

いまでも涙なしでは思い出せない話も聞いた。

その後の数年間、仕事の都合で頻繁に神戸を訪れた。

驚異的なスピードで街が作り直されていくのをみた。

辛い話もたくさん聞いた。

もう、これ以上の大惨事を生きている間にこの国で体験することは二度とないだろうと思っていた。

違っていた。
悲劇は次々と起こる。
世界でも、日本でも。

つい先日の1月3日。仕事で生田神社界隈を訪れた。


今はもうほとんど神戸方面にはいかなくなったが、やはり行くとたくさんのことを思い出す。

今も生きて、仕事の愚痴をこぼせることは、ありがたいことなのだ。

合掌。



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