今月は忙しくて、ひどく疲れていた。
今日は珍しく休みだったので、たくさん眠った。15時間ほど寝てしまった。
悲しい夢ばかりたくさん見た。2~3ヶ月程前までは、母が生きている時の夢ばかりを見た。母が生きている間に出来る限り一緒にたくさん楽しいことをしようという夢だったり、母が苦しみから解放されて、連れて行きたかったところや、できなかったことを沢山しに行く夢が多かったが、最近は母自身が出て来る夢が殆どない。母が居なくなった後の家族の夢ばかりを見る。特に父が出て来ることがとても多くなった。

今日の夢は、一人暮らしの東京の家に何故か母の叔父が訪ねて来るところから始まる。誰かのお葬式だか、お祝いだか何かの準備をするから手伝いに行った。会場は実家という設定だったが、全く違う内装で、そもそも廃墟のようだった。境目に激しく段差が出来て、所々重ねて平らにしていたり、端の方はスレートの床が見えてしまっていたりするほどボロボロの畳をどうするか話し合って、さすがに張り替えたらどうかと祖父に提案したところ(実家は祖父の財産である)、こんなボロ家をわざわざ改装するのはもったいないから、茣蓙でも敷こうと提案された。それを聞いた息子の父が、それじゃあ親父の葬式も茣蓙でやらんとね、とからかったら、面食らって、それは困る、というようにしていた。夢なのに、祖父らしかった…。

切れ切れ、いろんな夢をたくさん見た。どこかで、一瞬母が出て来て具合が悪いと言っていた。昔から病弱で、よく体調を崩していたが、スキルスを患ってからは、母が具合が悪くなる度に、いのちを削られて弱って行くのを感じて恐ろしかった。そういう感覚を思い出したショックで一度目が覚めた。しばらくは、自分が東京にいるのを覚えなかった。
正午過ぎに家をでると、まばゆい夏の晴天が広がっていた。昨日は台風だったから、全ての雨雲は吹き飛ばされてしまったみたいだ。はっきりとした青い空と白い雲は、まさに夏の空だった。
もうすぐ一年経ってしまう。去年の今頃は、3年の長患いの末いよいよかと言われた母の許で最後の時間を共に過ごすために、故郷長崎に帰るタイミングをつかみかねて、迷っていた。母があんなに早く逝ってしまうとは思っても居なかったので、半年とも一年とも知れない時間、ただでさえ将来の覚束ない身の上で、東京での暮らしの全てを一度うちやってしまうことが怖かった。今月始めだった母の誕生日も、一緒に祝える気がしていた。
とはいえ月に一度は、一週間位ずつ帰っていた。6月、母が転院した矢上の病院から近くののローソンまで歩いたときの、焼けて、蒸すようなあの暑さを思い出す。既に去年の記録的な猛暑を十二分に予測させていた。私は確か、母と一緒に食べるアイスクリームを買いに行ったのだ。母は病室で、いつだってにっこりと私達を迎えてくれたし、待っていてくれた。帰るときはいつも、寂しいからまた早く来てねと言っていた。
結局、私が帰省したのは8月だった。在宅医療の為、また母の長年の夢を叶えるため、市内の新しくて綺麗なマンションに引っ越した。犬も一緒だ。家のすぐ近くにはコンビニも何もないところだったので、買い物は徒歩20分位のとこにあるショッピングセンターか、逆方向に徒歩20分のショッピングモールまで歩いた。それがまたすごく暑かった。まるでコンクリートの上で焼かれてるみたいだった。皮膚や肉から水分がなくなってチリチリいいそうだった。だからほとんど、家の中にいた。クーラーをかけた家の中でも、白い太陽の光が充満した、けだるく、渇いた空気が、夏であることを主張し続けていた。その部屋でこの手にあった母のか細い、本当に白くか細くなってしまった手、それと柔らかに微笑みかけてくれる顔が恋しくて悲しい。実際は母は1日の殆どは、吐き気やら痛みやら、この世の有らん限りの苦痛と戦い続けなければならなかったので、そんな穏やかな時間はとても少なかったはずだが、つい先週のことのように思い出す。あれはうだるように暑い夏でした。
そんな夏がまた来てしまうのが堪らなく辛い。