女性の肉体は体の中心に命を宿す子宮を抱えています。この構造の前提を無視して体が冷えるような硬くなるような生き方・働き方をすると不幸になります。


女が自分の女性性を受け入れず、肉体の仕組みを無視して働いて自己犠牲していたら、いくら頑張っても、努力しても結果、全てが水の泡、不健康になるし、笑えないし、幸せになれないし、恋人も家族も社会も国も運気が下がる一方です。


女性の社会進出が進み「男女平等」と言う言葉がありますが、この「女の体の仕組み」を無視して、もっと頑張れるだろう、もっと働けるだろう、もっとやれるだろうと、たくさん勉強して、賢くなって、毎日ちょっとずつ我慢して、感覚が鈍くなって、体がボロボロに病気になるまで働いたりして皆どこかカラダの不調を抱えて生きています。


終いには「男に負けたくない」と言う言葉が出てきたら、それはもう女性にとって誤った方向性へ進んでいると思うのです。


現代女性は何でも自分1人で頑張っちゃって、器用になることを覚えて、頼ることを知らない人が多いです。だから、自分が人間関係の中で頼られたり、頼ってばっかりの人がうまくいっているのを見せつけられて、苛立ったり腹が立ったり嫉妬してしまうんです。


あるいは人間関係の不快感は自分のせいなんだって自罰して落ち込んだりもして、自罰する人はココロの癒しを求めてスピリチュアルに走り頭の中がお花畑になっていきます。


世の中は「依存するな」「自立しなさい」というのが当たり前みたいになっているけれども、欲張りに生きたい、そうまでして働きたいのならば、女が幸せになる生き方の土台として「カラダの経営」をちゃんと出来ていることをクリアにしてからにして欲しいのです。


そう言えるのは、私自身も体がボロボロになるまで働いたことがあるからなんです。でもそーゆー生き方をしてる時は「女の体」を大切にできていない時です。


だからその証拠に周りから社会から人間関係において「大切にされない」「後回しにされる」と言うことを体験するんです。


もしもこの話で、反感を覚えたのであれば、これまであなたが大切にしてこなかった「女としての肉体」あなたの「本能的な命」が、あなた自身の態度に怒っているということ。その命の怒りに、あなたが反応しているだけなのです。


女のカラダの構造や仕組みを理解して、必要なアプローチを行い、カラダファーストで「命」を大切に扱い生きると、あなたの行いが周りから優しさや思いやりや尊重という形で返ってきます。


↑わたしはこのことを


女のカラダの経営」と呼びます。


女のカラダの経営で1番タブーなのは、カラダを冷やすことです。冷えると全自動で脳がネガティヴに傾きます。


そして大切なのは、体調が悪いとき、ほんのわずかなカラダの不快感を無視せずに立ち止まり休むこと、1ミリだって我慢しないこと頑張らないことです。


休んで湧いてくる罪悪感は、世の中の常識や集合意識の念を拾っています。そもそも世の中の常識は、男優先的社会の古い概念ですから、そんな時こそ、あなたのスタンダードをアクティベーションするタイミングです。


当たり前に女である事を忘れて「女のカラダの経営」をおろそかにしてはいけません。女に産まれたと言う事も1つの役目であり、女の生き方を学ぶことが課題なのです。


女に産まれたからには「女のカラダの経営」を土台として生きると、土台にそった家が自然に建ちます。理想の家があるならば、それこそ土台として「カラダ」を大切に育てる事が尚のこと大切です。


それが正しい様だと自然をみたら答えてくれています。

果樹なんかも同じですよね、土の中の根っこが腐っていることを知らずに上から幾ら肥料をあげても腐る一方です。


大切なのは土壌のコンディションです。微生物たちとの栄養バランスが取れた、ふかふかの土、種にあった環境選び、気温気候による自然災害に対処して土壌を整えること。


そうやって伸びた幹や枝には美味しい果実が成って、蜂や鳥なんかが近寄ってきて、心配しなくても循環が起こる。


女性はよく花に喩えられますが、そういう事です。