土用中はWHYなぜ「土いじり禁止」なのか?
『土用中は土に触る一切の行いは凶』という考え方が昔からあるのですが
しかしWHYなぜ土に触ってはいけないのか?
と疑問に思った方へ。わたしもそう思って調べた事なのでお伝えすると、どうやら仏教・神道寄りの理由が問題のようで。
様々な情報を比較検討した結果、わたし的基準は異なりますのでそれをお伝えしますので参考にされて判断してください。
枯らすより愛でた方がよい
率直に言えば、土用中であったとしても
我が家の環境美化の為なら
やった方が良いかと♪
例えば
・庭や鉢の雑草の草むしりや草刈り
・枯葉集めや庭木の剪定
・旬の農作業や作物の収穫
・家や庭や畑の設備や維持管理の道具のお手入れ
・問題・不具合の応急処置
などです。
では逆に問題として考えたいのは何かというと↓
・家や建物などを建てる
・地下深くの土まで掘りおこす
・土地を開拓する
など
大規模な事に危惧しておかれたら良いと感じてます。
大掛かりな工事・穴掘り・家や建物を建てるは
大気を乱すので凶という事です。
土用は季節の移り変わりの変わり目の時期です。冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬へと季節が移る時期は、地球の大気・気温・湿度・風速・エネルギーが動き、大きく変化しているからこそ、天が人間に「備えよ」とお伝えしてくれている、ありがたい話なのです。
また季節の変わり目は、寒かったり暑かったりして体調を崩しやすいので、そんな季節の変わり目の時は(土用期間ぐらいは)外仕事よりも体を大事にして過ごされよ。という心くばりなのです。
愛する庭の植物などに触れて、お手入れする程度の小さな作業に対して本物の神ならば駄目だ!たたるぞ!とか言いませんので「神仏の祟り」を恐れる心配はありません。
放ったらかしで
場が荒れ放題になるよな
雑な扱いをしている事の方が
よっぽど自然の花や植物に対して罪かと。
それは何神様でしょうか?
『土用中の土いじりは全て凶』という恐ろしい説は、どこか違和感を感じます。と言うのも、人は信仰心を大切にし過ぎると気づかぬうちに自身の自我の声やその辺の霊などの声を、神の声と勘違いしてしまう事はよくあるので、この「全て凶」説は、本質を見失い自我の尾ひれがついた話に思えるのです。
よくあるんです。ご神事といって伝統を謳い、村をあげて総出で、自然や動物を無惨無下に扱う行事が。そんなの本物の神は望んではおらんわけです。馬神事などがいい例です。
この馬神事で喜ぶのは人だけです。戦国時代の武人を神格化して祀って。あの急斜面というか壁を登り切った者こそ優れている存在なのだと、登り切った人が多いほど我が軍は素晴らしい、きっとその年は縁起が良い「うまくいく」という風でしょう。なんと人間らしい考え方でございます。馬の神がいるならソレコソお怒りではないでしょうか。
なんの神を森羅万象
創造の神と言って祀っているか否か
そんな神事が多くあるのです。
小さな人間が「神」と崇め奉るものも色々です。
千と千尋の神隠しに出てくる「オクサレ様」は本来は、川の神様です。
ならば「土用に全ての土をいじるな!」という神は「土の神様」でしょうか。「我が家の素敵な庭さえいっさい触れるな!たたるぞ!」だなんて、なんとも器の小さな神様です。
…ホントの土の神ならば、美しく手入れをする事に怒るでしょうか?そんなこと無いと思うのですよ。
土を自然を
愛でる人を祟る神などいないと存じます。
そんな事が気にさわって、人を祟るのは神を装った輩です。
また現代では解明できる現象も、昔は解明出来ないことをひとくくりに「祟りじゃ〜」と言っていたので、その人々の恐れや不安に対する集合意識が『土用中の土いじりは全て凶』と伝わったのもあるかと。
このような「全てを禁止」するような乱雑な解釈を広めることこそ人間ぽいですし、誤解に繋がりますね。
強いて言うならば、あえてわざわざ土用にガーデニングや家庭菜園などを始めてみる事はしなくてもよいかなと。