連日、被災地周辺では、避難の指示や勧告が出続けています。ふと思うことは、自宅近隣の避難場所について。一番近い避難場所は、自宅より被災エリアに近づく場所にあるのです。この場合、本当に避難した方が良いのでしょうか?
連日、被災地周辺では、避難の指示や勧告が出続けています。ふと思うことは、自宅近隣の避難場所について。一番近い避難場所は、自宅より被災エリアに近づく場所にあるのです。この場合、本当に避難した方が良いのでしょうか?
非常に近い地域での災害に、驚きが隠せない状況です。
エリアに避難勧告が出されたのは午前4時過ぎ。豪雨や落雷が続く中とはいえ、寝静まった時間帯に、その勧告はどのように伝えるべきだったのでしょうか?
正直な話、町内放送等で聞こえてきた記憶はありません。携帯電話に災害情報が届く設定にしていますが、気づきませんでした。(メールはちゃんと届いていました)
ニュース報道は、「なぜか避難指示が遅れたのか?」に重きを置いていますが、そうじゃない。ちゃんと住人に届いていたか?なんだと思います。
寝静まった深夜や、停電でテレビ・ラジオが使えない時、町内に如何に情報通達するのか。それが大事ですし、住民側も今回のような豪雨の時に携帯電話やインターネットを通じ積極的に情報収集に当たらなければならない。考えさせられる一夜でした。
あの日、得意先の事務所で商談時間を待っていました。
当時登録していた、「地震情報メール」が携帯電話に届きました。
「宮城県 震度7」
正直、「エラーが出た」としか思いませんでした。
商談相手が商談室から書類を取りに自席に戻り、商談席に再度着いた時「TVで何か凄いことになっている」という言葉で、先ほどのメールがエラーではないことがわかりました。
商談を終え、携帯電話のワンセグでニュースを見ました。映画のワンシーンでは、と思うような、すんなりと受け入れられない映像が映っていました。
仙台にある事務所の連絡先が分かる人に、電話・メールをしました。また、大学の同じゼミで宮城県に勤務している仲間にもメールを打ちました。
4,5時間経った頃、事務所に仙台の責任者から連絡がありました。「あちこちに連絡したがソコが唯一繋がった。車で出張から戻る途中だが、状況が分からない。ニュースはどうなっている?誰か連絡は取れたか?」道は激しく渋滞し、電波状況もよくない中で、どうにか仙台にいる社員全員の無事が確認取れました。
翌朝、携帯電話には何十件というメールが届いていました。すべて地震情報メールでした。改めて前日の地震は現実なんだと思い知らされました。
一週間か10日か、大学の仲間から無事だと返信がありました。ほっとした気持ちで小さくガッツポーズしたことを覚えています。
3年たった今でも、鮮明にあの日のことを覚えています。
被災地から遠く離れた私でも記憶に残っているということは、現地の皆様はより鮮明に、より恐怖として、より厳しく残っているのではないでしょうか。
ハード面での復旧は少しずつ進んでいるかもしれません。それでもやはり、ソフト面、メンタル面でのケアが必要かもしれません。
末尾になりましたが、お亡くなりになった方のご冥福と、被災された方の心身とものご健康を祈念いたします。