まず船の基本的な構造をお話します!

全長238メートル、幅30メートルの客船です。名前はオセアニック号!


4階(バハマデッキ)からがキャビンになっています。


5階 (アトランティックデッキ) キャビンとレセプション、舷門


6階 (レストランデッキ) キャビン、レストラン、診察室



7階(コンチネンタルデッキ)キャビン、マッサージルーム、美容室$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~




8階(ラウンジデッキ)ピースボートセンター、フリースペース(アゴラ、あん、パるケ)、ラッキースターバー$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~
ブロードウェイショールーム$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~
、スターライトラウンジ(←夜のたまり場)、パシフィック、セミナールーム



9階(プレミアデッキ)キャビン、キッズルーム$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~




10階(プールデッキ)キャビン、プールデッキ$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~
波へい←居酒屋です
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11階(サンデッキ)キャビン、サンデッキ
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屋外設備は
8階にティキバー、9階にスポーツデッキ$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~
、10階にはジャグジー




私のキャビンは5階のA93!

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とにかく狭かった!うちらの部屋は特に!

他の乗船者も認める狭さの私たちの部屋はさらに難ありで…常に30度程度を保っていました!


乾燥していたのが何よりですが。。。



でもこの劣悪な部屋のおかげで部屋に引きこもらなくなりましたww


あ、私の癒し場である喫煙所は8階のデッキにありますww

海を見ながらの一服はそりゃぁもう…ww

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喫煙所は本当に最高ですよ!一番いろんな人と仲良くなった場所だと思いいますww
旅の前半はメンバー固定でしたww


こんな環境と850人のパッセンジャー、200人以上いると言われるクルー、そして30人ほどのピースボートスタッフを乗せて地球一周しました。

部屋の写真とかいろんな場所の写真、撮ってるようで全然撮ってなかった事に気付く…


次回は!船内チームについて∀!映像、PA、写真andWEB、などなど…


明日は福岡に居るのであさって以降の更新になります^^
ツールスレーン博物館で一般人の独房として使われていた場所に今、写真がたくさん飾ってあります。

生還した人が描いた当時の様子や犠牲者の方の写真など



そこに、生還した人たちの集合写真を見つめる1人の男性がいました。

彼の名前はチョンメイさん

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ツールスレーンから生きて出られた7人のうちの1人でした。


チョンメイさんは当時のことをちょっとだけ話してくれました。


彼がツールスレーンに収容されて3日ほどでベトナム軍が助けに来てくれたと言っていました。



考え方の違う人同士が分かりあうためにはどうしたらいいんだろう。

争うのではなくて、どう話し合っていけばいいんだろう…

そんなことをいつも考えています。

そしてそのために私ができることは何なのかツールスレーンに通いながら考えているそうです。



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朝4時にアンコールワットに行き、朝日を見ようと頑張りました。
天気:曇りww
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まぁ見えるわけもなく、気付いたら明るくなっているというちょっと残念な結果wwww

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そしてアンコールワットの中を回っていましたが、突然のスコールで断念…



そんなこんなでプノンペンというカンボジアの首都で大きいショッピングモールに行きました。

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家電売り場では日本の歌番組が流れていたり、いわゆるカンボジアのギャルも見ました。

田舎しか見てこなかったんでこういう一面もあるのかとびっくりしました。


そしてついに6日を過ごしたカンボジアとお別れ。。。

いろんな衝撃を与えてくれたカンボジアを離れるのはすごくイヤだったし、また絶対来ようと思いました。


$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~
さらばカンボジア!



飛行機で気付けばもうそこは大都会。

$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~

さっきまで目の前に会ったクメール文字はもうありません。高いビルしかありません…

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なんだか寂しささえ感じたそこは シンガポール 。


私たちが離脱している間に船はベトナムに寄港し、シンガポールに寄港中でした。


久々に見た我が船…船に乗って4日で離脱、6日間カンボジアでほとんど船も人も分からない中で離脱してたので、帰ってきたら浦島太郎状態…


でも4日間喫煙所で共に過ごした仲間は違った!
帰ってきた瞬間にみんなすっごい喜んでくれて、おかえり飲み会を開いてくれて、
みんなに会った時初めて、帰ってきた―って思いました。

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そして感動したのが、ベトナムでみんなおそろいのミサンガを買ってたんだけど、うちの分も買ってくれてた!本当に感動してやばかった。マジで泣くかと思ったよー!


そんなこんなで無事にカンボジアのツアーは終わりました!

そして次の寄港地、エジプトのサファガに向けて、14日間の長い洋上生活が始まります。
インド洋をがっつり横断します!

次回は洋上生活をちょこっとお届けします!
後編はキリングフィールドについて


先ほどのツールスレーンからトラックで運ばれた彼ら。15分ほどで再教育センターに着きます。

再教育センターがキリングフィールドです。


ここでは顔がばれないように夕方から夜に向けて、目隠しをされた人たちが連れてこられます。

そして、生き埋めであったり、虐殺されたりして最期を迎えました。

ツールスレーンからの規則で、泣いたり、うめき声を上げることも禁止されていました。

彼らはここに来た以上、なにをしても殺されるのです。


これはキリングツリー。
書いてある通り、小さい子はここに体を打ちつけられて殺されました。木の下の白いものは人の骨です。

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マジックツリー

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目隠しにより、音に敏感な状態なのでうめき声や叫び声が聞こえないようにこの木の穴にスピーカーを取り付け、大音量で音楽を流しました。
こうして人々の声を消していたのです。


そしてここがたくさんの人を埋めていたいわばお墓。

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ここは頭部のない遺体ばかりが埋められた場所。他にも裸の女性と子どもだけの穴などがあります。



そして私が一番衝撃を受けた場所。


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私たちが歩いていた地面です。

良く見たら分かるんですが、靴の先にある白いものは犠牲者の骨、黒い物はその人の衣服です。

私たちが歩いていたのはすべてこのような場所。

地雷原よりも怖かった…


本当に歩けなくなった。

人の死体の上を歩いているっていうことがショックで、なんか怖くて…なんか分からないけど初めて涙が止まりませんでした。このツアーでは絶対に泣かない、泣くのはなんか違う、と思ってたんだけどここだけは止まりませんでした


辛い死に方をしたのにそれでもまだ助けられずに埋まったまま、そして今も踏まれていく彼ら。


なんでそのままにしておくの?私はただただ辛いとしか思えなかったんです。


慰霊碑を見てもそう、調査された頭蓋骨をそのまま並べている、なぜそのままにして私たちに見れるようにしているんだろう…


$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~

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私は考えました。
この人たちは何を訴えているのだろう、この人たちは何を願っているのだろう。

彼らが骨となっても訴えていること、私が彼らと出会って感じたこと。


このような歴史がカンボジアにあることを忘れないでほしい。私たちのような人間がいたこと、私たちをもっと多くの人にリアルに知ってもらいたい。

そしてこれから社会を作っていく、政治に携わっていく若い人たちに、このような恐怖政治を許さない、このようなリーダーを生み出さない社会を作っていってほしい。

私たちのような人々を二度と生み出さないでほしい。


私はここを出る時、
「みなさんの骨を踏んでしまってごめんなさい。ここのことは絶対忘れません」って本当に言いました。

歴史の教科書でちょっとしか書いてないことだけど…実際に見ると本当にすごいです。

もう一回ゆっくり行きたいです。

さぁカンボジアも次が最後!いよいよ船に戻ります!
今日はこのツアーの中でも一番辛かった場所を紹介します。

カンボジアの地雷問題のうち、タイとの国境付近に埋められたもののほとんどはポルポトによって埋められたものです。

私がこのツアーで地雷につながる、今のカンボジアにつながる大きなポイントとして一度訪れてみたかった場所、ツールスレーン博物館とキリングフィールド。

長くかかるのでまずは


ポルポト、きっと誰しも聞いたことのある名前でしょう。

またの呼び名をクメール・ルージュ、日本語にすると カンボジア破壊 という呼び名です。


1975年からの4年間彼の時代になります。


そこで行われたのは悲惨なものばかりでした。

自分に反抗する人がいなくなるように、知識人の虐殺を行います。政治家、医者、学校の先生、警察官…

この時の知識人の定義もあまりに厳しいもので

・眼鏡をかけている人
・字の読み書きができる人
・中学を出ている人

こんなものまであったんです。

いやいやほとんど殺されるから、って思うでしょう?


実際そうです。密告によって、または尋問によって次々に収容所に連行されます。

また知識人からの情報を受け取る可能性があるとして、その家族も無条件に連行、生まれたばかりの子供まで収容されました。


そこで彼らは残酷な扱いを受けます。強制労働や拷問による取り調べなど…

そして厳しい規則にそむけば処刑です

再教育センターに連れていくぞ、と言われてトラックで連れて行かれます。そここそキリングフィールドです。


ここから写真続きですが、ちょっとキツい写真もあります。でも、これが現実なんだってことであえて載せます。



























まずは政治家の独房

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この遺体があった場所が今こうなっています

$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~

床や天井には血痕がそのままです。


こんな部屋が10数か所あります。ここはかつて小学校だったところ、つまりここは教室だったのです。




a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100814/16/maikusaba/06/e3/j/o0800053210693023967.jpg">$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~

これはブランコの木枠。人をつるし、水瓶に沈めて拷問する場所になってしまいました。

$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~


一般人の独房

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拷問は多岐にわたり、
電気椅子、ムチ叩き、水に沈める、農具での暴行などなど

犠牲者の写真もありましたが…本当に凄惨です…一応あるにはあるので私までご一報をww



そしてここから彼らの多くがキリングフィールドで最期を迎えます。

後編へ続く…
私がツアーの中で出会った人の中で一番印象に残っている方、ソン・コサルさん。

$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~


今年で25歳の彼女は5歳の時、タイとの国境付近でじらいを踏み、右足を根元から失いました。

父親を地雷で亡くした彼女は自分は生きて助かったけど、幼くして足が無くなったことにとてもショックを受けたそうです。

恥ずかしくて外に出られない、とほとんど家の中で過ごしていました。


しかし義手や義足を作る活動をしている団体に出会い、そこでキケルさんというスペイン人の方に出会ってから彼女の生活は一変します。

まず彼女は念願の義足を手に入れます。

でも今は義足は全く使っていません。骨も全くないのでバランスを取るのが非常に難しいからです。


そんなこんなで外に出始めた彼女は、地雷被害者の救済や地雷廃絶の活動をしているキケルさんの影響を受け、地雷廃絶のキャンペーンに12歳ごろから参加しています。

まずは国内での活動、そして国際的な活動へと発展していきました。


それがICBLです。ICBLは地雷禁止国際キャンペーン

International Campaign to Ban Landmines

の略です。


対人地雷全面禁止条約、通称オタワ条約の発効にも大きな貢献をし、今月発効したばかりのクラスター爆弾禁止条約にも大きく関わっています。



コサルさんは本当に明るい方で、


「平和のために自分ができることは何なのだろう、毎日考えています。そしえ私は平和の種をあちこちにまいていきたいです」


と最後に話してくれました。


5歳で足を飛ばされて、10歳で平和活動に出会い、10代のころから世界平和のために活動して、条約の発効など様々な形でその成果を出してきたコサルさん。
そのパワーはいったいどこからやってくるのだろう…


心の強い人にたくさん出会いましたが、年もそんなに離れていない、同じ女性がこんなにも輝いていることがすごく衝撃的でした。

こんなに何かに向かって真っすぐに歩んでいく女性が美しいのか、って改めて思いました。



カンボジアには暗い部分、歴史がまだまだあります。ポルポトの独裁もあったし、内戦が終わってまだ10年もたっていません。地雷だってたくさん埋まっているし、格差社会や労働問題など日本とも似たような問題をたくさん抱えています。

でもコサルさんをはじめ、セムソワンタさんやCMACの人たちなど、その暗い過去、現在を変えていこうと必死で頑張っている人たちがいました。


私はそんな人たちを見ながらカンボジアが明るく見えるようになりました。



「これらの条約だけでなく不発弾の全廃活動を国単位でやってもらうことや地雷の世界からの全廃などまだまだ私にはこれからやることがいっぱいあります。」

彼女のエネルギッシュな笑顔と打ちのめされても簡単には諦めない姿、力強い言葉に本当に感動しました。

私も彼女のように強く、輝く女性になりたいと思いました。


$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~

私たちが彼女の所を訪れた時、掲げてあった、クラスター爆弾禁止条約の発効までのカウントダウンポスターです。

2010年8月1日、ついこの間、この条約は発効しました。このカウントダウンポスターも今は無くなっていることでしょう。

彼女の願いはまだまだ続いていきます。



今日はCMACについて。

CMAC(シーマック)とはCambodia Mines Action Centerの略称です


ここはカンボジアの国家機関であり、国内の地雷問題の専門機関です

ピースボートではここへの支援も行っています。


今回のツアーではその地方支部のような場所、ユニット4というオフィスを見学しました


シェムリアップのはずれあたりにあるCMACユニット4
$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~

$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~


まずは職員の方からCMACについてのプレゼンテーションを聞きました。


そして館内にある資料室へ。

そこには撤去された地雷が積まれていたり、地雷の仕組みや生産国等のデータ、被害の写真、支援の様子など様々な展示が。
$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~



展示してある中に不発弾被害者の写真があった。全身が血まみれで体のどこがどうなっているか判別できない。

なんで不発弾って分かってて手を出すんだろう。教育だってされていて地雷は埋まっていて分からないにしてもなんで?


そこで聞いた話は地雷や不発弾の問題とカンボジアの今がつながるものでした。

カンボジアの貧困問題。金属はお金になるのです。不発弾を解体してしまえばお金が作れる、でも彼らには知識も何もないので不発弾は爆発するのです。



中でも一番印象に残っているのは、不発弾を並べてUXO(不発弾という意味)の文字を作っていた部分。

上手く写真が撮れなかった…
$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~





CMACで現在行ってること
・地雷原についての調査と情報収集
・地雷や不発弾についての教育活動とその普及
・地雷や不発弾の処理
・地雷撤去員の養成


1993年の創立以来行ってきた活動結果
除去した地雷の数 400万~600万個
不発弾の数 240万発以上

2.6万㎢の土地から地雷、不発弾を除去し、使えるようにした






ピースボートはこのCMACへ対する支援活動を

P-MACと呼んでいます。

1㎡の地雷撤去活動に必要な費用が100円であることから、

カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーンを行っています。

私がポスター貼りの次に頑張っていたボランティアスタッフの活動のひとつです。



ここを見て、そして小学校を見て、私たちの支援したお金がこう言う風に生きているんだ、と実際に見たことは私にとって大きい経験になりました。

募金活動や支援物資集めはよく行われていますが、その後を自分で見るっていうのはなかなかできないことだと思います。





最後に、CMACの外に置かれていた大破した車。
これは対戦車地雷を踏んだ車です。

ここに乗っていた4人全員が…

$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~




生きています。



奇跡の車と言われてこうして展示されています。



本当になんでこんな物発明したんだよ…なんで使うんだよ…本当に地雷なんてこの世から消え失せてしまえ。そう思ってしまいます。

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さぁツアーも大詰め。残すところあと2回です。次回はICBL創設者のひとりでノーベル平和賞を受賞したソン・コサルさんとの出会いです。
ようやく旅日記に戻ってきましたが…まだ寄港地1つ目ww
さぁブログ地球一周は何日の旅になるでしょうかww


コーケー小学校に続いて訪れたのが、私が一番の夢に見ていた場所


地雷原


私が地雷問題について勉強するきっかけになったのは2001年のTBSの特番「Zero Land Mines」を見たことです。当時10歳だった私は、とてつもない衝撃を受け、翌日から図書館で本を探したりしていろいろ地雷について知り始めます。 
そこからずっと思い続けていたのが…

自分で地雷原に行ってみたい。



それから9年が経ち…念願がかないました。


ジープに再び揺られること1時間ほど。ロムジェ村と言うところに着きました

そこにあったのは本当に普通の生活。

その生活している村の中に、物々しい赤いロープと、Danger Minesというドクロの看板

私たちは、前日に地雷原見学に当たっての誓約書を書きました。

内容は、地雷除去員の指示に絶対に従う事、彼らの歩いた後ろだけを歩くこと、ちょっとでも外れると地雷が埋まっている可能性がないとはいえない。
などの注意事項などが書いてあるものでした。

それらをもう一度確認し、2つのグループに分かれて地雷原へ。
$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~


地雷原に入ります。



私たちが訪れたとき、不発弾1個、対人地雷2個が発見されていました。

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不発弾


地雷原に入るとき、私は緊張と同時に高鳴るものがありました。夢がかなうんだという高揚する気持ちは0ではなかったんです。私が歩いた道は一応、作業員の通路として一番に撤去作業を終えた通路でした。そして作業員の足跡についてまったく同じ場所を歩くように最新の注意を払いつつ歩きました。

こんなに自分の足元を気にして緊張して歩く場所はないと思います。もし転んだら…?もしここにまだ残っていたら…?


防具のせいで完全に蒸し暑いはずなんですが私はこの時すべての感覚を失っていました。
過去に参加した人は、冷や汗かいた、とか言っていたんですが
私の場合は、足元に対する注意と夢が今かなっているんだという気持ち、そして手の届くところにある地雷に頭を占領され、汗も引いてしまうというか…体の機能がストップしていました。




そして私は実際にそのうちの1つの地雷を爆破する事になりました。
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私が爆破した地雷





起爆装置のハンドルを回して通電し、爆破するものです。

映像も写真もありますが私のではないのでここでは勝手に使えない…><

空気を割って体に響く爆音は本当に一瞬で背筋を凍らせるものでした。

あれだけの爆発で足が吹き飛ぶ、腕を、視力をなくす…想像するだけで怖くなりました。


起爆装置を回した、自分の手で爆破した…この現実に何とも言えない感情を抱きました。


爆破した時、私たちから20メートルも離れていないところで小さい子が水浴びをしてはしゃいでいる声がしました。


$MCが考えてしまった ~世界の下見に行ってみた~


初めて私は自分の目で見ました。

地雷と隣り合わせでいきているということ。



あれだけの爆音を聞いても何事もないかのようにはしゃいでいるのです。
私たちの中には思わず涙がこぼれる人もいました。大の大人が震えあがる爆音に小さな子どもたちは何の反応も示しません。


慣れ、と言うのでしょうか…地雷の爆音や煙に慣れているのか…

想像もできない世界でした。


地雷原の訪問は時間的には短いものでしたが、私が願っていたものがすべて詰め込まれた、そんな空間だったんです。


そしてこのロムジェ村から再びシェムリアップへ帰ったのですが、

この道中、突然、爆音がしました。

私は地雷か!?なんだ!?と思い一瞬にして緊張。

それはただの雷でした。スコールが降ってきました。



雷を爆音と勘違いするほど私の感覚はとがっていました。


ロムジェ村の水浴びしていた子どもたちと自分を重ねてみます。


無理無理…爆音いきなりするとか…てか雷マジ爆音かと思った…


彼らにはまず私のようなこんな感情は起きていないでしょう。



これが土地代の安さから地雷原に住まざるを得ない、そして地雷と隣り合わせで生きるという…本でしか知らなかった、今までは遠い存在だった人たちの姿です。


あの時、彼らは私の目の前にいました。もはや本の中ほど遠い存在ではありません。


地雷原で私が見たものは地雷だけじゃなかったんです…



次回はCMAC(Cambodia Mines Action Center) 訪問についてです。

旅日記のはずが今日は長崎のネカフェにいるので写真がありません!


ってことで普通に日記にします。



今日は引きこもりを卒業して晴れて長崎県に上陸しました!



長崎は高校3年間を過ごした本当に青春の思い出の町!


ここにくるといつも初心に帰ることができます



人嫌いだった私を受け入れてくれた高校の仲間がいて、


甘酸っぱいような思い出もあってww



人前で話すことに目覚めたり



本当に中学までの腐りきってた自分を洗い流し始めてくれた場所です


長崎市からは離れた大村市での話ですが・・・まぁなんやかんやで長崎市内にはしょっちゅう来てたし


週末はアミュで遊んだり、受験直前には元旦から北予備に模試受けに行ったり・・・



そんな町は65年前の8月9日に破壊しつくされました。明日は祈念式典。



広島を見てても思うけど、写真で見る破壊された町が自分の見ている景色と結びつかない・・・



私にとって本当に思い入れのある長崎の地を改めて見てきたいと思います。明日はその写真うPできたらいいなー★


長崎の町を歩きながらなんかいろいろ思い出してますww




今日の夜は69thのかたがたと再会しました!


なんか久々だったけどまだ2週間なんだよねー::

早いような遅いような・・・w


明日も会えるかなー?

船を降りてから約2週間が経ちました。

実家に帰ってきてからというもの、
なかなかこの金欠状態で外出するわけにもいかず

自宅警備とニコニコ巡回の毎日。

そんな中で今日久々に船で仲良くしてくれていた人から突然の電話!



嬉しすぎてペラペラしゃべってしまう私www



いろいろたまってたのねww


そうとう内輪の話なのでww

船の人の話とかこれからの話とか久々にできた!


すごくうれしかったです。



彼が最後に言ってくれたのが

「MCと出会えてよかった!俺と出会ってくれてありがとう!」

私もすかさず言い返す!

「本当に○○に出会えてよかった!本当にありがとう!」


本当にお互いに出会えてよかった!大好きだぞー!って言いあえるような仲間ができました。


恥ずかしがらずに、本当に、大好きだ!って声を大にして言える仲間。


彼もその一人。

船で過ごした時間なんてそれぞれの人生にしてみればたったの101日。



でも本当にアブノーマルな環境で、出会ってすぐに同じ屋根の下、というか同じ船の中で24時間一緒に暮らしているので相当濃い仲になります



本当に家族のような感じになる人もいるし、とにかく船で出会った人みんな、ずっと前から知り合いだったような気がしてならないんです。



笑いあって、泣きあって、騒いで、本当に心から楽しく、心からぶつかって旅した仲間です。


今まで集団の中に自分の立ち位置を見つけきれなかった私。
大学と言う自分の一番のコミュニティーを抜けて船でそんな自分の立ち位置なんて見つからないだろうなーと思っていました。


でもそれは乗船した翌日には砕かれていました。


本当に船で出会えたすべての人にありがとう!

下は1歳から上は92歳まで。私に関わってくれたたくさんの人たち、話してくれた一人一人が私にとって大切な思い出です。



あ、最後に。
運動会とギリシャでスライドショー作ったけどそれを見返しながら本当に感動だよ!裏Pメンバーのみんなww またどこかでみんな集まる日は…くるのかなー?