西春日井広域事務組合(消防と救急搬送)からは、被災地の安否確認をローラー作戦で行った報告が。
トイレが使えること、さらに衛生環境が整っていることが、健康被害を生まないという課題の提起も。
陸上自衛隊からは、雪が降り積もる中、道なき道を進み被災地へ入った様子が。
派遣要請による人命救助、衛生支援、患者輸送、給水・入浴支援を行い、現在でも断水している珠洲市で入浴支援が続けられているとのこと。
必要なところに速やかに公助が届くよう、市民のみなさんには自助・共助をとの呼びかけもありました。
北名古屋水道企業団からは、のべ35日間、職員の半数にあたる18名が向かった給水支援について。
限られた人員・給水車両を活かすために、組立式仮設給水層の備蓄が有効だと学びました。
北名古屋市社会福祉協議会は災害ボランティアセンターの運営支援に。
被害者のニーズ調査から支援までの流れを詳しく報告していただきました。
現地の運転ボランティアさんが通行止めなど道路状況を把握していて大変助かったお話も。
避難者で利用が激減してしまった介護施設の運転手さんたちが地域ならではの情報力を発揮してくださったそうです。
日頃の備蓄や近所付き合いが重要とのこと。
北名古屋市は志賀町の建物被害認定調査事務の支援へ。
全国から69名の応援職員が入り、5000件の調査したが進捗は40%程度。6月2日までに15000件を超えたが、今後新たな調査発生も見込まれるとのこと。
損壊した住宅には罹災証明や補助金は出ても、「思い出の詰まったこの家にはもう住めない。」
年老いた母にぽつりと声をかける息子さんの言葉が忘れられないと、複雑な気持ちになったことを話してくださいました。
済衆館病院は発災直後から、AMAT(全日本病院医療支援班)として、またJMAT(日本医師会災害医療チーム)として、物質や患者さんの緊急搬送を行った様子が詳しく報告されました。
「道路が復旧しないと医療どころではなかった」
ひび割れ、陥没の悪路にパンクが多発する困難な状況のなか、1時間で緊急復旧する土木の力を魅せられたとの感動の様子も。
それでも普段は20分で行けるところを1時間半かかる被災地。とにかく求められた物資はなんでも届けるとの強い思いで医療だけでない支援にも尽力されたそうです。
徹底的に被災者の真情に寄り添うことを大切にされており、医療者、介護者、自治体職員も含めて現地の方々はみな被災者であると、被災者でありながら支援する立場の方々の疲弊した状況にも胸を痛めていました。
このように、発災直後から被災地支援に向かったのは、市民にとって生活に身近な機関ばかり。