ゆるさない生活備忘録 -4ページ目

●↑「おーまいがっ、ティファニー、またあの人間だよ。絶対に近づくなよ。不気味なやつだからな」

●「場違いな者がやってきたな」

●「草を食べて、僕らの仲間になるんだ。永遠に。」

$ゆるさない生活備忘録

客「コレ、オネチィース」

客「コレ、オネチィース」
店「チス、コレッスネ、ウィッス」
客「ウィ」
店「……」ピッピ
客「オウェ!?ウェウェウェ、ウィウィウィ」タタタッ
店「?」
客「コレモ、シャス」
店「ウスウス、オケス」
客「サイセン」
店「イェイェ、ゼンゼ、ジョブッスシ、イースイース」ピッ
客「ウィァ…」
店「ィー…コチャーノコノミャキ、アタタッスカ?」
客「ソッスネ、チンシテッサイ」
店「ワカリャッシタ、アタタッス」バタン
客「…ノウェ」
店「ィェアーット、ゴテンデ、ケーサーゼーニナリャッス」
客「サゼッスカ、ンジャゴセッデッ」
店「ア、ウェイウェイウェイ、マチァッシタ、サンゼッハピーイェンッス、シャ
イセン」
客「イッスイッス、ゴセッドゾ」
店「ゴセッカラディ-…セーニャッエンノカーシッス」
客「ウィ」パーン!
店客「ウェア!?」
店「…アチー、マーネズワスッタ、ハレッシチィシタカラ、カエテキャッス」
客「ア、イスイス、ジョブッス」
店「シャセンッシタ、アザス」
客「ウェイ」ピロリンピロリン、ガー
店「ザッシター」
客「ア、シートワスッタ、シット!」

今日は吉川と一日デート

1 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:32:36.03 0
ハチ公前で待ち合わせ
予定より30分遅れてる

2 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:33:44.30 0
いつもはダンロップの靴履いてるけど今日は特別にエアマックス
空気は多めに入れて5cmほど背が高くみえる

3 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:35:06.70 0
サイコロ完全に頭イカレたか

4 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:35:46.34 0
ぼくの周りをチーマーがたむろしてる

5 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:37:48.23 O
それにしても朝8時から渋谷で何すんだよきっか…

6 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:37:53.06 0
晃司と?

7 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:38:27.64 0
ちゃんと三本の矢持ってきたか

8 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:41:21.96 0
吉川「今日は花柄ブラジャーでいくか」

9 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:42:50.76 0
>>1
わかる
会社に行きたくなさ過ぎて頭が狂いそうになるその気持ち

10 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:44:47.42 0
なぜかこめかみに激痛が走ってる

11 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:46:51.16 0
センター街のチーマー族コウェー

12 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:47:33.57 0
あまりしおらしく待ってるイメージがない

13 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:47:43.12 0
2人で一緒にクレープ食べてる
吉川の頬についたホイップクリームを直接舐めとってあげたら目が点になってた

14 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/09(金) 05:52:37.44 0
東横口で屋台の大判焼きでも食ってろ

a

子供のころ、父に美空ひばりの「知床旅情」を何回も一緒に無理矢理聞かされて、
「いいから目を閉じろ、知床が見えるだろう?」
と、言われ続けたが、1回も見えなかった。
父には見えていたのだろうか。美空ひばりはそんなにすごいのか!

江利チエミ 民謡メドレー1977

kyoudai

弟が整体士の言いなりになって
お兄ちゃんはちゃんこ屋をやってるから
相続は弟がすることになったんだっけ?

ちゃんこ屋はちゃんこブームが終わるのを見越して店長に権利を売り渡して結局そのちゃんこ屋はブームが過ぎて潰れた

ゆうた

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422 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2011/07/16(土) 11:28:03.70 0
ゆうたはさゆりにひどいことをしたよね

423 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2011/07/16(土) 11:30:15.80 0
はあ?さゆりがだろ

424 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2011/07/16(土) 11:32:00.99 0
ゆうたは鬼畜だからこれくらい平気でするよ


(H.Yoshizawa)


老後の安心のために・・・などと貯金する奴を見ているとすごく不安になる。
世の中、5年先がわからないのに、老後なんて、有るのか無いのかさえわからないだろう。
小銭をチマチマ貯め込むなんて、バカバカしいじゃないか。少なくともオレは、いつ死んでもいいように生きている。
もし、本気で将来を考えるなら、ありったけのカネを自己投資に回すことだ。頭脳明晰さを保ちつつ、体力を鍛える。
何もせずにボーッとしている奴には、老後もクソもない。

それにしても、今を活きていないやつが、どうして老後を心配するのか?
おのれの将来は「今日一日をどう生きるか」という真剣勝負の積み重ねであることを、もう一度肝に銘じてもらいたい!  (H.Yoshizawa)


友達だと思っていた人から告白されたら? ブログネタ:友達だと思っていた人から告白されたら? 参加中
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三分の一にまで、拡大するであろう

2011-06-08 16:49:25
言テーマ:ブログ
Rてんの株価は、一度ぎざぎざにどん底まで、おちるであろうが、また、必ず、以前の高さまで、回復する、という、   また、日本の経済は、今まさに、四分の一壊れているけれど、     それは、三分の一にまで、拡大するであろう。

これらは、人身売買でも、決して、回復は出来ない。




日本国土は、中国共産圏とアメリカ自由民主主義とに、

挟まれ、行く末が無い。国土は、荒れていく。




もう、救世主は現われない。

国外へ、脱出出来る者達は、さいわいである。




かくれた、いつわりの経済、家族、社会模様、

家庭内の目とならない、日本人いじめの、偽家族構成は、終わらねばならない。




侵略されっぱなし、国、国民を守る軍隊も、政府も、

裁判所も弁護士も無い  今の無責任政府、政治家達に、この国の未来はない。




まず、早急に、皇室典範の男女不平等を、改正し、

男女わけへだてなく、第一子継承と、せねばならない。

日本国憲法と、皇室典範との、おおきな矛盾を、無くさねばならない。

もう、これ以上、無視することは、許されない。




付け面、美容整形、人工声帯等で、姿をごまかし、無責任な司法、立法、行政を、継続していっては、ならない。

入れ替わって、逃げれば済むものではない。




電力会社は安易に原発稼働し、安全対策をおこたり、

住民、国民にそれによる、被害の説明を、おこたり、

目先の無責任な利益に甘んじた責任を、取らねばならない。

そのことを、助けた、そのことで、利益を享受した、政治家、官僚たちも、同様に、責任を取らねばならない。

日本国国土、日本国に在籍する人民へのこれから続く膨大な被害、連続する人的健康被害を、思えば、彼らは、決して、許されるものではない。




我が眠らされていたこの60年に、日本国民衆を、隠れて虐待し続けた罪は、重たい。




教育者の、再教育、間違った洗脳教育を子供達にほどこす日本国にふさわしく無い教育者も、連続して、日本国を、えせ教育にて潰してきた。

彼らは、早急に、子供達への洗脳を解き、正しき教育者として、まず、再教育されるべきである。




第二次大戦後、食糧自給率を下げ、国民の食育を、このたびの、福島原発事件で、長期にわたり、更に、危険におとしいれ、水産物を、汚染させ、

日本国土に隈なく原発を設置し、日本国土、日本国国民に長期にわたり、今からも更にもっと、長期に健康被害を、与え続けてきた、与え続けて行く罪は、重たい。




日本国の経済では、福島原発を安全に抑え込むまでの、費用ですら、あやぶまれる。

他の原発が、連続して安全が壊されれば、もう、この、日本国には、それを、メンテナンスする国力すら、無い。




国民を、雇用する能力、経済力も、かなわぬであろう。




えせ政治、では、日本国を救済出来ぬであろう。




実行能力ある政治家、経済ブレーンを、探せ。




事実隠蔽の弊害は大きい。

報道規制も、もっと、改善されるべき。

国民に事実を、危険認識を、知らせるべきである。

国民を、見殺しにすることは、許されない。

国民不在の日本国であってはならない。

虫、苦手? ブログネタ:虫、苦手? 参加中
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Gパンはく?</

Gパンはく? ブログネタ:Gパンはく? 参加中
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それにしても福島周辺の子供の未来は悲惨だな
まぁ70%は平均寿命から10%早死に程度の影響で人生は送れるとは思うけど
大人になって今の日本を知る頃になったら恨むだろうな
昔で言う朝鮮人とかエタ非人、○落差別で恨み持って社会的犯罪を
繰り返して来たような昭和の頃より
もっと強い恨みを持って日本を陥れる工作員の枢軸が多く出るだろうね・・・












昭和は、旧皇室典範と登極令による制度での最後の元号であり、元号法で改めて制定された最初の元号である。

開始 [編集]大正15年(1926年)12月25日、大正天皇崩御。同日、皇太子裕仁親王(昭和天皇)が践祚したため、直ちに改元の詔書を公布し、昭和に改元した。西暦1926年の12月25日は、大正15年であり昭和元年でもあることになる[3]。なおこの際、東京日日新聞が「新元号は光文」と誤報した(光文事件)。

昭和改元の詔書(大正15年(1926年)12月25日)

朕皇祖皇宗ノ威靈ニ賴リ大統ヲ承ケ萬機ヲ總フ茲ニ定制ニ遵ヒ元號ヲ建テ大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト爲ス(以下略)

終了 [編集]昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇が崩御した。同日、皇太子明仁親王(今上天皇)が皇位を継承したため、元号法の規定に基き、元号を改める政令(昭和64年(1989年)1月7日政令第1号)を公布した。翌1月8日、同政令は施行され、平成に改元した。

元号を改める政令(昭和64年(1989年)1月7日)

内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。

元号を平成に改める。

附則

この政令は、公布の日の翌日から施行する。

出典 [編集]「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代にまったく同じ出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。

当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。

時代の流れ [編集]急速な技術進歩を続ける20世紀は、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものを破壊する大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった。日本は国内的には立憲君主制の体裁をとり、当初の藩閥政治を脱して、1920年代には政党が内閣を構成するようになった。

しかし、政党政治がその一面で見せた腐敗は、相次ぐ不況下で困窮する国民の不信と怒りを買い、大陸侵略による事態の打開と国家改造を志向する勢力の台頭を招く。1920年代末から独立性を強めた軍部は、1930年以降は政府の意思に反した軍事活動や戦闘を多数引き起こし、相次ぐ軍事クーデターにより、ついには政党政治を葬り去った。

初期 [編集]第一次世界大戦では、まれに見る好景気で日本経済は大きく急成長を遂げた。しかし大戦が終結して諸列強の生産力が回復すると、日本の輸出は減少して早くも戦後恐慌となった。さらに昭和2年(1927年)には、関東大震災の手形の焦げつきが累積し、それをきっかけとする銀行への取りつけ騒動が生じ、昭和金融恐慌となった。若槻内閣は鈴木商店の不良債権
を抱えた台湾銀行の救済のために緊急勅令を発しようとしたが、枢密院の反対に会い、総辞職した。あとを受けた田中義一内閣は、高橋是清蔵相の下でモラトリアム(支払い停止令)を発して全国の銀行の一斉休業と日銀からの緊急貸し出しによって急場をしのいだ。

一方、中国では孫文の後を蒋介石が継ぎ、国民政府軍が北伐(中国革命で中国北部の軍閥勢力を平定すること)を開始して、華北に進出した。田中内閣はこのため3回に及ぶ山東出兵を行い、東京で外交・軍部関係者を集めて東方会議を開き、満蒙の利権を死守することを確認した。これに基づいて政府は満州の実力者張作霖と交渉し、満洲の権益の拡大を図ったが、張は応じず、関東軍は張の乗る列車を爆破して暗殺した。関東軍は当初この事件を中国国民政府軍の仕業だと公表したが、実際は関東軍参謀河本大作の仕業であった。このため国内の野党から「満州某重大事件」として追及され、田中は昭和天皇に上奏しようとしたが、天皇から説明を聞きたくないと不快感を表明され、田中義一内閣はこのため総辞職した。世上では首相の名前(義一)を下から読んで、「一つもよしことなかった」と揶揄された。

田中内閣は、第二次護憲運動で生まれた護憲三派の内閣である加藤内閣とりわけ、外相である幣原喜重郎が行った外交政策である中国内政不干渉政策(幣原外交)を「軟弱外交」として批判して登場した。そのため、田中義一は自ら外相を兼任し、中国での革命の進展に対して強く干渉した。しかし、中国での武力行使に対する列国の批判をかわすためもあって、昭和3年(
1928年)、パリで締結されたいわゆるパリ不戦条約には調印した。ただ、この不戦条約は、第1条で「人民ノ名ニ於テ」戦争を放棄することを謳っており、国体をないがしろにするものとする批判が国内に生じた。このため、新聞紙上でも喧々諤々の論議が行なわれた末、翌年に至り、「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」という文言を日本については適用外とする宣言を付して批准された。また、田中内閣は国内で思想取締強化をはかったことでも知られている。特に普選実施後、予想外の進出を示した無産政党や共産党に対する弾圧を強め、昭和3年(1928年)に三・一五事件、翌年に四・一六事件を起こして共産党系の活動家と同調者の大量検挙をおこなった。その間、緊急勅令により、治安維持法を改正して最高刑を死刑とした。

一方、文化や社会科学の研究ではマルクス主義が隆盛となり、昭和7年(1932年)には、野呂栄太郎らによる『日本資本主義発達史講座』が岩波書店から発行され、知識層に多大の影響を及ぼした。その執筆者は「講座派」と呼ばれたが、それに対して批判的な向坂逸郎らは雑誌『労農』により、「労農派」と呼ばれた。両派は以後、活発な論戦を繰り広げたが、国家主義的革新運動の台頭に伴い、弾圧を受け、強制的に収束して行くこととなった。

そのような状況下の昭和4年(1929年)10月24日、ニューヨークのウォール街での株価の大暴落によって世界恐慌が引き起こされた。それは日本にも波及し、翌年、田中内閣の後を受けた濱口雄幸内閣が実行した金解禁を契機として昭和恐慌が引き起こされた。この恐慌は戦前の恐慌の内で最も深刻なものであった。英国・フランス・米国などが植民地囲い込みによるブロック経済で建て直しを図ったが、第一次世界大戦の敗戦で天文学的賠償金を負っていたドイツや、高収益な植民地を持たない日本などは深刻化な経済不況に陥った。このことはファシズムの台頭を招き、ドイツではナチスを生み出す結果となり、日本では満洲は日本の生命線であると主張され、軍の中国進出を押し進めてしまう要因の一つとなった。

昭和5年(1930年)、米国や英国が中心となりロンドン海軍軍縮会議が開催された。これは第一に、主力艦を昭和11年(1936年)まで延長する、第二に、補助艦の保有比率を米:英:日=10:10:7とするものであった。全権大使若槻禮次郎はこれを受諾したが、海軍は、統帥権を侵していると内閣に反発した(統帥権干犯問題)。

昭和6年(1931年)には関東軍の謀略により柳条湖事件を契機に満州事変が勃発した。政府は戦争不拡大の方針をとったが、関東軍はそれを無視する形で発展していった(塘沽協定で日中間は一旦停戦となる)。日本の満洲建国に前後して、国際連盟はリットン調査団を派遣し、その調査結果に基づいて、昭和8年(1933年)、日本の撤退勧告案を42対1(反対は日本のみ、ほかにシャム(タイ)のみが棄権)で可決した。このため日本の代表松岡洋右は席を蹴って退場し、次いで国際連盟を脱退した。このことにより日本は国際的に決定的に孤立の道を歩んでいったと同時に、政府は孤立化による国民感情の悪化を懸念したが、予想に反してこの決断は日本の意思を貫いた行為として賞賛された。また、昭和7年(1932年)には海軍将校らが犬養毅首相を射殺した五・一五事件が、昭和11年(1936年)には皇道派の青年将校が斎藤実内大臣や高橋蔵相らを射殺した二・二六事件が起こって軍部の暴走も顕著となり、政党内閣は終焉にいたった。その後、軍部の勢力は強まり、広田弘毅内閣では過去に廃止となった軍部大臣現役武官制を復活させる。このことで現役軍人しか陸海軍大臣には就くことができず、軍の協力なしに内閣を組閣することができなくなり、議会はその役割を事実上停止する。昭和12年(1937年)には、盧溝橋で日中両軍が衝突し(盧溝橋事件)、日中戦争(支那事変)が始まった。日中戦争(支那事変)がはじまると、中国では蒋介石と周恩来の間で国共合作が成立し、抗日闘争が進められた(第二次国共合作)。ヨーロッパでは1939年(昭和14年)9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が開始された。日本は当初、「欧州戦争に介入せず」と声明したが、昭和15年(1940年)、フランスがナチス・ドイツに降伏し、ドイツ・イタリアの勢力が拡大するに及んで日独伊三国同盟を締結した。大西洋憲章を制定した米英の連合国に対し、日独伊は枢軸国と呼称されるようになった。

戦線の拡大に従って廣田内閣・林内閣で盛んであった国防の観点から思想統制と国民生活向上を図って戦時体制への強力を国民に求めると言う「広義国防」論に代わって、国民・国力の全てを戦争遂行のために投入して総力戦を行おうとする総動員政策が台頭し、その結果国家総動員法が成立した。

国内の文化・思想に関しては、戦時体制が強化されるにともなって治安維持法による思想弾圧が目立ち、昭和12年(1937年)には、加藤勘十・鈴木茂三郎らの労農派の関係者が人民戦線の結成を企図したとして検挙される人民戦線事件が起こった。この時期には、合法的な反戦活動は殆ど不可能になっていった。

太平洋戦争(大東亜戦争) [編集]「太平洋戦争」も参照


占領地域を広げる日本(昭和12~17年、1937~1942年)日中戦争(支那事変)開始後、日本では近衛文麿を中心とする新体制運動が進められ、昭和15年(1940年)10月、大政翼賛会が結成され、既成政党は解党して呼応した。この翼賛会は、経済新体制を創出する統制会・大日本産業報国会と並んで政治面で日中戦争および太平洋戦争の遂行を支え、「高度国防国家体制」の創設を目指す大政翼賛運動の推進に当った。組織原則では、衆議は尽くすが最終的な決定は総裁が下すと言う「衆議統裁」形式が採られた。これはナチスドイツの組織原則を真似たものであると言われ、一党独裁の赤である、幕府の様に皇室を置物にするものであるという強い批判も出た。総裁は首相を兼任し、歴代総裁には近衛文麿、東條英機、小磯國昭、鈴木貫太郎が就任し、最初は総裁の指名によって事務総長に近衛側近の有馬頼寧(よりやす)が任命され、中央本部に総務・組織・政策・企画・議会の五局および23部が設置された。地方にもこの支部が設けられ、支部長の多くは知事・市町村長が任命され、中央・地方に協力会議が設置された。しかしその部内では主導権争いが頻発し、また昭和16年(1941年)には平沼騏一郎内務大臣により公事結社とされて政治活動は禁止され、有馬らの近衛グループが退陣し、内務省および警察主導の行政補助機関となっていった。

アメリカ合衆国は通商条約の破棄など強硬な方策を採った。日本は、ナチスドイツやイタリア王国と日独伊三国軍事同盟を締結することで対処しようとしたが、アメリカ合衆国の反発を招くだけだった。その上、南部仏印進駐によってアメリカ合衆国から石油禁輸を招くにいたった。アメリカ合衆国・イギリス・中華民国・オランダとの関係がいっそう冷え込み、日本ではそれぞれの国の英語の頭文字をとってABCD包囲網と呼ぶ。一方日本では、陸軍を中心として対ソ連戦争を目指す北進論と南方に進出することを目標とする南進論との二派があったが、国境線が紛争となっていた張鼓峰とノモンハンで偵察的な戦闘をおこなった際、ソビエト連邦陸軍の戦車部隊に善戦したものの、結果的に惜敗した。これによって北方進出を諦め、日ソ中立条約を締結し北の守りを固めるなど対米戦争を準備する一方、外務省は昭和16年(1941年)晩秋まで日米交渉を続けた。しかし、軍の強硬姿勢に押される形で交渉は難航し、当時ナチスドイツに対し完全な劣勢であったウィンストン・チャーチルイギリス首相や中華民国の蒋介石らによるアメリカ合衆国の参戦の要望、及び日本海軍の動きにフランクリン・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領が激怒したことによりコーデル・ハル国務長官より中国大陸から撤退すべしとの交渉案(通称ハル・ノート)を受ける。これを全植民地からの撤退要求と解釈した日本は、事実上の最後通牒と認識し、対英米蘭開戦が決定された。こうして太平洋戦争(大東亜戦争)が始まり、日本は第二次世界大戦へ参戦することとなった。アメリカ合衆国、イギリスは大西洋憲章を制定し、自陣営を連合国と称し、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国と対抗した。


昭和16年(1941年)12月8日、大日本帝国海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカ太平洋艦隊に大損害を与えた。アメリカは「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を唱えて日本との戦争に突入。写真は攻撃を受けて炎上するアメリカ戦艦。昭和16年(1941年)12月8日(現地時間12月7日)、ハワイ時間午前6時30分に航行制限区域に侵入した特殊潜航艇が撃沈される「ワード号事件」、日本のマレー侵攻の後、日本海軍は、真珠湾攻撃を行なった。しかし戦争の前途に確信があったわけではなく、開戦当初から、山本五十六連合艦隊司令長官は、1年間は戦況を維持しうるが、それ以上は無理であろうと語っていたと言われ、表面的な派手な宣伝にもかかわらず、事態の認識は最初からより悲観的であった。日本海軍は開戦当初、今でこそ一般的な航空母艦(空母)の艦載機という航空機を主力とする新しい戦法を用い、また連合国側を大きく上回る技量を備えたパイロットらを率いて、史上初めて航空機のみの攻撃によって行動中の戦艦を沈めるなど、連合国軍相手に常勝無敗であり、日本国民はこの初期の大勝利に酔いしれた。

昭和17年(1942年)、東條内閣は、初戦での勝利を利用して翼賛選挙を実施し、翼賛政治体制を確立した。また大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本青少年団・大日本婦人会の官製国民運動6団体を翼賛会に従属させた。さらに町内会と部落会に世話役を、隣組に世話人を置いた。世話役は町内会長が兼任し、全国で約21万人、世話人は隣組長兼任で約154万人であった。町内会は生活必需物資の配給機構をも兼ねていたので、国民生活はすみずみまで統制と監視に晒されることとなった。