イエス様はエルサレム入りしたその日は、神殿を見るだけで、特に大きなアクションを起こしませんでした。しかし、2日目、イエス様は行動に移します。祈りの家を強盗の巣にするなと、おっしゃって「宮清め」を行いました。境内で鳩を売っていた人や両替を行っていた商人の露店を壊して境内の外に追い出して中に入れないようにしたのです。温和なイメージのあるイエス様がここでは実力行使に出られました。なぜでしょうか?
イエス様がおられたのは過越しの祭り直前でしたので、参拝客でごった返していたと考えられます。その数は一節によると数十万人から百万人。新約聖書の内的証拠だけでも当時のユダヤ教徒はローマやアフリカ、西アジアに広く分布していたことが解ります。そして、彼らは遠路はるばる、申命記16章にあるとおり主を礼拝するために集まっていたのです。礼拝して御利益を得るためではなくて、聖書に書かれているとおり、礼拝を「守る」ために来ていました。そして、当時は礼拝に際して必ず供え物をささげる規定がありました。傷のない捧げものを遠路はるばる運ぶことができないので、境内で用意された捧げものが売っていたのです。また、献金もローマ帝国管内で広く通用していて通貨と違う通貨でしか受け付けていませんでしたから両替する必要がありました。
両替商の必要、そして、捧げものの鳩を神殿の近くで売る必要はありました。しかし、当時は両替のレートがひどい場合は60パーセント、鳩も相場の15倍で売られていたといいます。捧げるべき生贄は本来は牛や羊なのですが、聖書の中では貧しい人のために鳩を捧げることも例外的に認められていました。その鳩の値段を不当に釣り上げ、暴利をむさぼることは、貧しい人が礼拝を守ろうとすることを妨げることになるのです。また露店が開かれていたのは異邦人の庭でありました。ここは、外国人や身体障害者など、社会的弱者が礼拝できるようにされている設けられた場所でした。ここで商売をしていた業者が多くいて、社会的弱者の礼拝の静謐が守られていなかったのです。事実、並行個所であるマタイ21章の記事を読みますと、この時、障害のあるものに対しての癒しも行われています。
イエス様の実力行使は、「弱いものを守る為」、「礼拝を守る為」だったのです。主イエス様は寛容な方ですが、弱者が守られない時、敢然と立ち向かって下さるのです。私たちの主は私たちを守って下さる方であることを感謝しましょう。また、私たちの心は聖霊の住まわれる神の宮だと聖書に書かれています。私たちの心が強盗の巣になっていないかどうか、今一度神様に清めてもらいましょう。