今月は、書道を学ぶ中で、自分自身の「できていないこと」がはっきりと見えた一ヶ月でした。

今月の書統課題に取り組む中で、初めて「自分は全然書けていない」と強く感じました。

そして今月は、オンラインのお稽古を見学させていただく機会もありました。

先生や房仙会のみなさんが実際に書かれている姿を見ながら、筆遣い、穂先の動き、呼吸。一つひとつを見せていただきました。

実際のお稽古を見学すると、これまでとは見えてくるものが全く違いました。

自分ができていないことをはっきりと体感し、そこで初めて「悔しい。もっと書けるようになりたい」という気持ちが湧いてきました。

その悔しさを先生にお伝えすると、「書道は年期」と教えていただきました。

始めたばかりの私が、すぐにできるものではない。

だからこそ焦らず、一枚、一枚。一筆、一筆。
「ティッシュペーパー一枚」の積み重ねを大切にしていきたいと思いました。

房仙塾では、「自立する」ということについても考えました。

自立とは、人に頼らず何でも自分でできることだと思っていました。

でも、師匠と弟子という関係を大切にし、報告・連絡・相談をしながら、自分で考えて動く。

「自分で考えること」と「自分勝手に動くこと」は違う。

今の私に必要な姿勢なのだと学びました。

そして今週から、楽しみにしていたひらがな講座が始まりました。

実際に学んでみると、こんなにもひらがなは難しいものなのかと驚きました。

同時に、ひらがなの美しさや奥深さ、日本人の感性に触れ、日本人の心を感じました。

「これは子どもたちに、そのままの美しい形で伝えたい」

講座中、そんな想いが込み上げてきました。

講座で使う鉛筆も、房仙先生から教えていただいたものを文具店へ買いに行きました。

その鉛筆を見つけた瞬間、鳥肌が立ちました。

「これが、ほんものか!」

そんな感覚でした。

これまで何気なく持っていた鉛筆とは違い、なんともいえないかっこよさを感じました。

そして、これを初めて持つ子どもは、何を感じるんだろうと思いました。

鉛筆の持ち方。
お道具。
姿勢。
身体の使い方。

「字を書く」ということの前にある基礎基本を、私自身が改めて一から学んでいます。

そして、この学びは書道だけではないと感じています。

保育士として、母として、私として

私は日々、子どもたちや家族、目の前の人と関わりながら学んでいます。

同じ年齢でも、一人ひとり伝わり方も感じ方も反応も違う。
兄弟でも、同じ言葉が同じようには届かない。

だからこそ、相手をよく見て、どう受け取っているのかを感じ、その人に合った言葉を選ぶことが大切なのだと思います。

そしてその前に、まずは私自身が弟子として先生から教えていただくことをきちんと受け取ること。

曖昧なままにせず、一つひとつを自分の中に落とし込んでいく。

「A」と言われたら「A」が書ける人になる。

書道を通して「視る」ことを学び、保育士としても、母としても、そして弟子としても、目の前の相手をもっと深く視られる人になりたいと思います。

今月は、書けない自分、伝えられない自分、まだまだ分かっていない自分と、たくさん向き合いました。

でも、できていないことが見えたからこそ、もっと学びたいと思えた。

だからこそ、焦らず、あきらめずに。

一枚、一枚。
一筆、一筆。

「書道は年期」という言葉を忘れず、今日できることを積み重ねていきます。

そして、この一日、この一瞬も、当たり前ではないのだと思います。

この命をどう使うのか。
この一瞬をどう使うのか。

書くことができること。
学ぶことができること。
動けること。

嬉しい。
悲しい。
悔しい。

そんな感情が湧くことさえも、すべて生きているからこそ感じられること。

その一つひとつに心から感謝して、今日という一日を大切に使っていきたいと思います。