2017・4月2日のブログより
昨年書いたブログなんですけど、働き方や、働く場所はあの時と変わっているけど、私は今もよく会議に参加する機会に恵まれ現在は株式会社alluxeともう一社別の会社できっとこれから大きく社会が変わっていくであろうプロジェクトのミーティングに参加しています。
今の私を知る人は意外に感じるかもしれませんが
私はわりと長い間、自分の意見を言うの怖かったんですよね。
自分がちょっとしたことですぐ傷つくから、人に意見することは、相手を傷つけてしまう危険性があると思っていたし
自分の言うことを真っ直ぐ受け取ってもらず、誤解されるのも嫌だった。
自分の余計な一言が相手に迷惑だったら?って考えるとたまらなく嫌だったし。
プライベートも仕事も、一回りくらい年上の人に囲まれる環境だったから「生意気」って思われたりしたくもなかった。
ある時、尊敬する女性にそのことを相談した時こんなアドバイスをいただきました。
マイコちゃん。
それはあなた相手を見下してますよ。
「あなたは私の言ってること、どうせわからないよね。私だって傷つきたくないし言うのやめよう。」そうやって自分の中から生まれた閃きや意見を自分勝手にズタズタにしないでください。
もっと真っ直ぐでいいのよ。
マイコちゃんが相手を心から信頼出来た時、その後、相手がどんな反応しようが、何を選ぼうが、いずれにせよ奇跡と呼びたくなる経験を私たちは受け取ります。
そして相手を信頼出来る経験は益々増えていきます。
「相手を傷つけてしまうかもしれない。自分も傷つくかもしれない。」その思いの裏側には傲慢さが隠れています。
そのことにマイコちゃんは気づいている。
だからもっと自由を楽しんで。。。
その助言を聞いた時、表面的な言葉の厳しさではなく、中心部にある「あなたはわかってくれますよね?」という想いがその女性から波紋のようにこちらに広がってきて、信頼とはこういう経験なのか。こんなにも優しく、強く、あたたかなことなんだ。
なら私は今まで「信頼がなんなのか」知らなかった。とすごく衝撃を受けました。
(それまでの私は、信頼とは何かの出来事を機に自分の意思とは関係なく、消えたり、現れたりするものだと信じて疑わなかったのです。)
それ以来私は、どんな時も人を信頼すること。勇気をもって正直にコミュニケーションすること。正直でいても安心なんだ。と言うことを繰り返し学んでいる気がしますが今も繰り返し何度も蘇るメッセージがあります。
わかりあえないはありえない。
私達はひとつの存在なので「あの人とは解りあえない」ということは絶対にありえません。
これは「同じ考え方をシェアできること」とは実は全く違います。
「考え方」「意見」これらは逆にシェア出来ません。
「考え」というのはセパレートした存在であるひとりひとりが、別々の人生を経験しながら培ってきたものなので、絶対に「100%同じ」ということはありないのです。
私達は自分と違う考え方に出会うたびに「解らない。」「分かり合えない。」と落胆します。
「違う」というだけなのに、まるで自分が否定されたり、攻撃されたりしているように感じてしまいます。
「自分の考えを押し通し、それが正しいと相手に認めさせ、相手をその中に巻き込むこと」でひとつになろうとします。
「考えをひとつにすること」でひとつになろうとします。
相手も同じ方法に出るので、ここで行われるのは戦争です。
武器は「いかに自分は正しいか」ということです。
では、どうすれば分かり合えるか?
考えの向こうに隠れている「思い」に注目することです。
相手の言っていることの向こうにある、「本当に相手が私に伝えたがっていること」を聞き取らなくてはなりません。
そのためには、自分が大声で主張するのをまず、止めなくてはなりません。
「人の話を聞く」というのは、「耳で聞きながら、頭の中で(私はこう思う、ああ思う)と考える」ということではありません。
「この人が本当に話そうとしていることは何?この人が伝えようとしていることを、本当に理解したい」と、「自分」を脇において、その人を主役にして聞くということです。
途中で「私はこう思う!」と、言いたくなるかも知れませんが、「私がどう思う」ではなく、「相手はどう思っているのか」をきちんと飲み込むつもりで、ただ、ひたすら聞きます。
魔法のレッスンシリーズ
タイトルにある「自分の発言した意見が相手にとって迷惑だったら、、、あなたはどうする?」については前置きが長くなってしまったので(前置き長すぎねw)次回に続きます♡